2007年4月11日(水)「しんぶん赤旗」

諫早湾閉め切り10年 第1部

沿岸漁民の叫び(6)

想像しよらんやった


写真

(写真)「この船で300日は出漁する」という大場義忠さん

 諫早湾内の雲仙市瑞穂町の漁民で、干拓事業に反対しつづけて「はんこを押さなかった」という大場義忠さん(68)を訪ねました。

 タイラギ漁師でした。諫早湾でタイラギがまったくとれなくなったため、流し網で漁をしています。午後三時ごろに出漁し、午前二時、三時まで漁をします。

海が好き

 「年に三百日は漁に出る。それだけ出る人はほかにおらんでしょう」。海が荒れても出漁しないと届かない日数です。

 訪ねた日は、雨交じりの曇り空。発達中の低気圧が接近していました。

 大場さんはこの日も漁に出るといいだしました。妻のシズコさん(65)の心配が一気にふくらみ、「今日はだめだ」と繰り返し、ひきとめました。

 大場さんは「海が見られんと頭が痛くなる」というほど「海が好き」。「夫婦げんかとシケは夜になればおさまる」といって漁にでました。

 危険を冒して夜中に働いて年に二百万円ほどの稼ぎ。それも「年々悪くなっている。貝類がおらんようになった。ハゼやムツゴロウは全然おらん。数は少ないがスズキやカニはまだとれる」と大場さん。

漁獲ゼロ

 タイラギがとれていた潮受け堤防工事前の年収と比べると今は十分の一ほどです。大場さんは乗組員を雇い、五人体制のタイラギ漁で、年に二千万円から三千万円を稼ぎました。

 諫早湾では、潮受け堤防工事の進展とともにタイラギ漁獲量が減少し、一九九三年には漁獲がゼロになりました。

 大場さんは堤防工事用の海砂の採取が大きな打撃になったとみています。

 「湾口部の地形が変わるほど採砂された。そこがタイラギのもっともいい漁場だった」

 諫早湾湾口部で海砂が採取された量は東京ドームの約二杯分(二百五十七万立方メートル)にもなります。

 諫早湾閉め切りから十年。大場さんは「閉め切れば潮流が変わり、相当な影響が出るとわかちょった。だから最後まで反対した。しかし、これほどひどくなるとは想像しよらんやった」と話します。

 国は、諫早湾内の漁協組合員に「干拓工事で多少の影響は出るが、漁業はできる」といい、一年分の年収程度を補償しました。

 しかし、その「影響」は甚大で、よくなる見通しもないのが現状。漁民の一人がぽつりといった言葉が印象に残りました。「影響が出るというのも程度問題。早い話、だまされたとです」

 その影響は諫早湾にとどまらず、なんの補償もない島原半島沿岸の漁民におよんでいます。
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