2007年4月10日(火)「しんぶん赤旗」

諫早湾閉め切り10年 第1部

沿岸漁民の叫び(5)

地域潤してきた恵み


写真

(写真)小長井沖で定置網の操業をする松永夫妻

 低気圧が発達しながら九州を通過した二月二十一日、諫早湾は早朝から好天に恵まれました。松永秀則さん夫妻は、漁港から小舟で五分ほど走り、漁場に張った定置網をあげました。

 漁場は長大な城壁のような潮受け堤防から三キロほどの近さです。北部排水門が大きく見えます。

はねる魚

 「今日は、豊漁だ」

 スズキやコノシロ、コハダ(若いコノシロ)が網のなかではねまわり、しぶきが飛び散ります。松永さん夫妻もさすがにうれしそう。帰路、舟に寄ってくるカモメやトビに小魚をいくつも投げました。自然の恵みへの感謝をこめて…。

 「きのうは海がしけたのと、四日ぶりに網をあげたから」。これが久しぶりの「豊漁」の理由です。

 松永さんは、定置網のほか、アサリやカキの養殖も手がけて、年収三百万円から五百万円。干拓工事前の三分の一以下です。

 長崎大学で有明海の魚類を専門に研究してきた田北徹名誉教授は、諫早湾湾口に近い佐賀県太良町の定置網で一九七〇年から近年まで毎年四―五月に魚類標本の採集をしてきました。春になると魚群が押し寄せ、定置網の袋網には、コノシロ、メナダ、スズキ、クロダイ、コイチなどが一晩ですし詰めになるほど入ったといいます。

水揚げ減

 このため、「魚を取り上げた漁船の上は暴れる魚でいっぱいになり、魚を踏みつけなければ歩けないほどだった」と論文にも書いています。

 松永さんによると、かつては小長井だけで、アサリを掘るために五百人からの雇用を生み出せました。タイラギ漁も貝柱をむく人など船に乗る人が高給で雇われました。海さえあれば、一晩で十万、二十万と稼げることもあって漁民は気前もよく、飲み屋や酒屋ばかりか、電器屋など地域全体を潤しました。

 実際、小長井漁協の出荷額は潮受け堤防工事が始まる前の一九八九年は六億五千万円ほどで、最近の四倍もありました。

 有明海全体の水揚げ高も二〇〇三年の八十五億円に対し、干拓事業着手時点の八六年には二百八十九億円。水揚げは最近の三倍以上もありました。有明海沿岸のノリの販売実績約五百億円を加えるとざっと八百億円。有明海沿岸の地域経済を漁業がどんなに潤していたかがわかります。

 一方、二千五百億円の干拓総事業費に対し、干拓地の農業生産効果は、農水省の計画でも毎年十三億円にすぎません。

 離農が進むなかで生産効果の低い干拓農地の造成に巨費を使い、そのために地域経済を潤してきた漁業が衰退に追い込まれています。
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