栄子のちょっとエッセイ

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2006年8月29日(火)
草の根の力に支えられて

平戸市で街頭宣伝

 来年の二つの選挙で必ず勝利しようと取り組んだ「全支部総行動」(8/21〜8/27)。立候補表明から6ヶ月。8月26日は平戸市での街頭宣伝で、山下千秋佐世保市議とともに8ヶ所で行いました。
 帽子をとって会釈してくださる人、車から手を振ってくださる人など、通行する市民のみなさんから、やさしい励ましをいただきました。また、椅子をわざわざ店先に持ってきて腰掛け、最後まで演説を聞き、「頑張って」と激励の声をかけてくれる人もいました。


 平戸市議会には、党の議席はありません。しかし、党の支部が市民の中でしっかり活動しています。支部の人たちの日頃の頑張りが、党への期待を広げてくれていることを実感しました。
 日本共産党の支部の数は全国で約24,000。小学校、保育所、郵便局の数とほぼ同じです。私の候補者としての活動も、そうした一つひとつの支部のみなさんに支えられています。そのことを改めて教えてくれた、平戸での活動でした。

 地域や職場の中でねばり強く続けられる支部の活動…。こうした草の根の力こそ、他の政党が絶対にまねのできない日本共産党の強みです。そうした支部のみなさんと心ひとつに、私はがんばります。

2006年8月22日(火)
太田投手の追っかけだった私の青春。甲子園球児に負けないつもりで頑張ります

仁比そうへい参議院議員と

 例年にない猛暑の中で、高校野球は37年ぶり2度目の決勝引き分け再試合。私は、37年前の三沢高校対松山商業の試合をはっきり覚えている一人です。

 当時、中学生だった私は二日間、くぎづけになってテレビ観戦。三沢高校の太田幸司投手のファンとなってしまった私。その後、近鉄バッファローズに入団した太田幸司投手をおっかけて、日本シリーズを観戦するために広島球場まで出かけたことがあります。あ〜!青春していました。

 
 今では、早実の斎藤投手のお母さんより年上になっている私ですが、高校球児に負けじと、自らの力で日本共産党の躍進の風を巻き起こそうと、21日は長崎市内11ヶ所で街頭宣伝。
この行動は、来年の選挙勝利をめざして全支部行動として取り組んでいます。
 

 22日西海市、23日大村市と諫早市、24日五島市、25日長崎市、26日平戸市と佐々町、27日諫早市とかけめぐります。

2006年8月13日(日)
その場にいてこそ伝わってくる感情があります

式典会場で

 8月9日、原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に初めて参列しました。これまで、テレビや新聞などの報道で接し、11時2分にはどこにいても黙とうすることを心がけてきました。「核兵器のない平和な世界を」の願いを共にするために。

 しかし、初めて参列した私に伝わってきたのは、「願い」だけではありませんでした。「無念さ」がひしひしと伝わってくるのです。涙をこらえることができませんでした。
 被爆者代表の中村キクヨさんが、「被爆二世の次男を白血病で亡くした時に、先生から『白血病は母体からもらったものだ』と言われ、この一言が忘れられず、私は今も苦しんでいます。」と、言われた平和の誓い。
 子ども達が合唱した永井隆作詞の「あの子」。「壁に残った らくがきの おさない文字の あの子の名 呼んでひそかに 耳すます ああ あの子が生きていたならば」。
 同じ空間に、その場にいてこそ伝わってくる感情があることを改めて感じました。この経験を大切にしたいと思います。

 長崎市長が読み上げた長崎平和宣言は、2006年を再出発の年とすることを決意し、恒久平和の実現に力を尽くすことを宣言しました。

 私も、その場にいた一人として、確かな一歩をふみだしたいと思います。

2006年8月8日(火)
長崎の8月、胸に強く刻みたいこと

開幕した「ちひろ展」

 広島県代表の如水館高校の選手たちが、8時15分に黙とうした8月6日、夏の高校野球が開幕しました。昨7日、長崎代表の清峰高校がが初戦を突破し、明日は長崎原爆の日、8月9日です。

 「平和であってこそ」若者が、そのエネルギーを思い切り野球にぶっけることができます。
 核兵器のない平和で公正な世界であってほしい。この願いを脈々と受け継ぎ続けられているのが、今日から私も参加する原水爆禁止世界大会です。
 若者が力いっぱい青春を謳歌できる高校野球と原水爆禁止世界大会。この二つは「平和への願い」で大きくつながっている、と私は思います。

 この夏、長崎では、平和へつながるもう一つの企画が注目されています。8月4日から長崎県立美術館で開かれている「わたしが選んだちひろ展」です。こどもたちの幸せも笑顔も「平和であってこそ」。いわさきちひろさんが、すばらしい絵に託したメッセージだと思います。

 憲法9条が輝いてこそ平和を守り、続けることができる。胸に強くきざみたい、長崎の8月です。

2006年8月1日(火)
住民の声、地域の声が、郵政公社を動かしました

7月18日の総務省交渉

 7月末に嬉しいニュースがとびこんできました。集配業務の廃止計画が発表されていた県内18の郵便局のうち、9局で実施延期が明らかになったのです。
 地域の人達の声が、郵政公社を動かしたのです。私自身も、郵便局のみなさんと懇談し、住民の声を聞き、7月14日は熊本県の郵政公社九州支社、18日には総務省にでかけ、計画の撤回を強く申し入れてきました。こうした努力が、少しであっても実ったのです。頑張ってきて良かったという思いです。

 長崎市の伊王島では内田隆英市議が宣伝カーを出し、延期されたことを住民のみなさんに報告して回りました。西海市の大瀬戸支部は松島に渡り、松島郵便局の集配業務廃止の計画が延期になったことを伝え、一軒一軒に「民報」を届けました。

 長かった梅雨がようやく明けましたが、今度は猛暑です。暑さに負けない元気な活動を続けて、計画の「延期」でなく、撤回させるために頑張りたい。真っ青の空を見上げながら、私は決意しました。

2006年7月24日(月)
被爆地のホテルの嬉しい心遣い。平和への願いは様々な形で…

 長崎県委員会は、中田晋介県会議員を団長に総勢15名で、7月18日から19日の二日間の日程で上京し、県民の切実な要求49項目に基いて政府交渉を行ってきました。
 朝早い出発だったので、前日は長崎市内のビジネスホテルに宿泊しました。そのホテルの部屋のテーブルに、そっと折り紙が置かれてあったのです。 

 手にとってみると、「ご宿泊いただいた方々に、長崎で平和を感じていただき、皆様のお気持ちを思い出と一緒に千羽鶴に託していただければと考えてご用意致しました。当ホテルにて大切にお預かりし、8月9日に平和公園へ寄贈させていただきます。」と、書き添えられていました。
 明日からの仕事の準備を済ませた私は、一枚一枚に「被爆地の心を大切にして、二度と戦争をすることのないように」と、気持ちを込めて千羽鶴を折り、フロントに預けました。

 被爆地のホテルの嬉しい心遣い。こうした積み重ねが、核兵器を廃絶し、平和をつくっていくことにつながるのだと思います。空はどんよりとしていましたが、さわやかな気持ちでホテルを後にしました。

2006年7月18日(火)
佐世保での党創立記念の祝賀会。多くのみなさんから、勇気をもらいました

会場のホテルで赤ちゃんと
 7月15日は日本共産党の誕生日です。84回目の党創立記念の日、私は佐世保市の「党創立記念祝賀会」に参加させてもらいました。多くの人達と交流することができて、楽しい時を過ごすことができました。
 
 佐世保の米軍基地から出航した艦船がイラク攻撃に参加し、罪なきイラクの人々の命を奪ったことを、忘れることはできません。その基地の街で活動する、佐世保民商の頑張りには、勇気をもらいました。同じ基地のある横須賀や岩国とくらべて、民商組織の大きさは群を抜いているのです。

 会社と警察の不当弾圧に屈することなく、明るく元気に頑張っている男性と彼を支える職場の仲間たち。素晴らしい団結の力を見た思いでした。

 娘たちが小さいころ私は、まわりのお母さんたちと一緒に、「生の演劇を子どもたちに」という活動にとり組んだことがあります。その時いくつかの劇団に大瀬戸に来てもらいましたが、そのひとつの劇団の方と、お会いすることができたのです。まさかこういう場所でと、驚きの出会いでした。

 若い御両親と一緒に来てくれた、10ヶ月の元気な男の子。肌がきれいで、本当に可愛い赤ちゃんでした。この子たちの将来のために、人間が大切にされる政治をつくりたい。
 共産党に入党したときの初心を思い出せてくれた祝賀会でした。

 車なのでお酒は一滴も飲めませんでしたが、快い気持ちでハンドルを握り家路につきました。
  
2006年7月11日(火)
これはひどいと思います。離島の郵便局で集配業務をなくすなんて

松島郵便局

 郵政公社がすすめようとしている集配業務の廃止。県内の18局がその対象になっています。その一つである西海市大瀬戸町松島郵便局を訪ねて、久しぶりに離島である松島に渡りました。
 郵便局長は、「集配に対する苦情があっても、松島郵便局はいっさいタッチできず、集配のキー局になる時津町にある西彼杵郵便局に連絡してもらわないといけなくなるんです。」と、申し訳なさそうに語ってくれました。
 それを聞いた私はびっくり。なぜなら、集約先の郵便局は大瀬戸郵便局だと報道されていたからです。大瀬戸までなら、市営交通船や民間会社のフェリーで20分から25分ほどで渡れる距離です。
 しかし、西彼杵郵便局なら、船で大瀬戸まで来て、さらに一時間も車で走らなければなりません。内務職員4名、外務職員2名の今の体制から、内務2名だけになってしまうそうです。
 しかも、建物がそのまま残って、そこに2名の職員がいたとしても、「孫が送ったという手紙がまだ届かないよ。」と、おばあさんから尋ねられたとしても知らん顔しなければならない。それが集配業務の廃止だと知りました。
 14日に熊本県にある郵政公社九州支社に、18日に上京して総務省に集配業務廃止見直しを要請に行ってきます。がんばります。

2006年7月3日(月)
参院選まであと一年。「痛みの請求書」送りつける政治を変えたい

福岡で政府との交渉で打ち合わせ

  いよいよ1年後に迫った参議院選挙。2004年は6月24日公示、7月11日投票で行われましたから、来年の今は、まさに選挙真っ只中です。

 いま、住民税と国民健康保険税が何倍にも値上げされた通知書が各家庭に届いています。5年間の政治によって格差を拡大させ、弱者に冷たい政治を強行した小泉首相。その首相から国民へ届けられた「痛みの請求書」ではないでしょうか。


 国民は怒っています。7月3日、東大阪市長選挙で日本共産党員の長尾淳三さんが、見事に市長に返り咲きました。せめて身近な市政は住民のくらしを守ってほしいと、その願いが日本共産党に託されたのです。


 この変化は、決して東大阪市だけのものではありません。私は、長崎でも、変化は起こり得ると確信しています。


 1年後には、日本共産党にまっすぐ県民の願いが託されるように、「広く大きくこつこつと」がんばります。