2000年12月3日に開かれた、「長崎県党会議」での発言です。県下から、約200人の党員が参加しました。

「20世紀に人間が主人公になる」社会をめざして、候補者として力いっぱい頑張りたい
      

 県党会議にご参加のみなさん、こんにちは。参議院選挙区候補の小川きみ子です。みなさんには大変お世話になります。どうかよろしくお願いいたします。
 私は、第22回党大会を感動をもって受け止めるとともに、候補者としての責任を重く感じています。みなさんとともに、21世紀の歴史を切りひらくために、力を尽くして頑張ります。
 党大会の衛星中継を見ながら、私は不破さんの閉会のあいさつに涙があふれてしかたありませんでした。少し感傷的ですが、一つの時代が終わったような、そんな思いがこみ上げてきました。
 私は、1971年の4月に入党したのですが、当時は「70年代の遅くない時期に民主連合政府の樹立」をめざすという方針が提起されていました。当時私たち青年はこの提起に胸ふくらませ、「私たちも歴史を動かす歯車になろう」、そして子どもたちに「お父さんお母さんたちもこの民主連合政府をつくるために頑張ったんだよ」と、語れるような働きをしようと、確認しあったものでした。
 しかし、その後の30年間はみなさんご存知のように、日本国内でも世界でも決して平坦ではありませんでした。あのころともに夜を徹して語り合い、行動した仲間の中には、吹きつける「逆風の嵐」に確信をなくして、党から離れた人もいました。
 しかし、みなさん。私たちは新しく加わった仲間ともとに、逆風の中で、民主連合政府樹立への過程を、一歩また一歩と歩んできたのだと実感しています。そして今、国民のくらしを守り支えるためにも、民主連合政府の実現が切実に求められる時代になっています。「そのときが来るのを、生きて見届けたい」と、強く思っているところです。
 私は、昨日とおととい沖縄で開かれている「2000年日本平和大会」に参加してきました。全国から、また海外から、そして地元沖縄から参加した人々の共通の思いは、「21世紀に基地はいらない」「平和な町を美しい自然をそのまま子孫に受け継ぎたい」と言うことでした。
 この大会に連帯して佐世保基地をかかえる長崎県党としても、アメリカ言いなりに進められようとしている佐世保基地の強化を許さない、そのための運動とたたかいを大きく組織して行くことが求められている、との認識を新たにしてきました。
 私たちの暮らしを軍事、経済、食料などあらゆる分野で直接的にも間接的にも関わり苦しめている、アメリカ言いなり政治をすすめている、いまの自民党政治。今度こそ、終わらせようではありませんか。
 候補者として発表されて、多くの市民のみなさんから、「一日も早く共産党に政権についてもらいたい。そして、私たちのように暮らしに困っている者を助けてください」と、訴えられます。こうした市民の声を聞くたびに、自民党離れがすすみ、本当に政治を変えことができる情勢だと、実感しています。
 第22回党大会の決議は、「民主連合政府を樹立するという目標を達成するうえで、党が大きな影響力を持つ議会勢力に発展することは特別に重要」と言っています。
 参院選前の総選挙も可能性がありますが、こうした政治戦で「政党選択を基本に」した方針を貫き、私自身の政治への思いとともに、党の歴史や政策、日本共産党が示す未来への展望を大いに語り、九州・四国担当の仁比そうへい比例候補とともに、「20世紀に人間が主人公になる」となる社会をめざして、候補者として力いっぱい頑張り、長崎県からの初議席に挑戦したいと思います。みなさん、ともに頑張りましょう。ありがとうございました。