栄子のちょっとエッセイ

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2007年5月29日(火)
市民葬に参列して、改めて9条への思いを強くしました

市民葬
 今日は、伊藤一長前市長の市民葬に参列し、心を込めて献花しました。
  町議時代に、長崎市議会を傍聴した時のことです。議会が終わった後に、日本共産党の市議団の控え室に立ち寄りました。ちょうど、そこに伊藤一長市長があいさつに来られ、話をさせていただく機会がありました。
 「日本共産党の議員は、みなさん本当に良く勉強されますね。」と、声をかけて下さったことを、昨日のことのように覚えています。

 被爆地長崎の思いが込められているのが、「憲法9条」です。志半ばで倒れられた前市長の平和への思いをしっかり引き継ぎ、来る参議院選挙に全力をつくしたいと思います。
2007年5月22日(火)
同じ被爆地の参院候補とエール交換

藤本さんと壇上で
 5月18日、党本部で全国都道府県委員長・地区委員長会議が開かれ、目前に迫った参議院選挙の予定候補者として参加してきました。
 いっせい地方選挙で、前進したところ失敗したところ、どちらからも参院選に生かすべき教訓が語られました。安倍首相が、任期中の憲法改定を宣言し、改憲手続き法を強行し、改憲スケジュールを政治日程にのせようとする動きをすすめるもとで、参議院選挙での憲法問題をめぐる対決は避けられません。
 会議の最後に、候補者が壇上にあがり「団結がんばろう」を三唱しましたが、偶然にも隣に並んだ広島選挙区予定候補者の「藤本さとし」さんと、被爆地の候補者として憲法九条の改定を許さないために全力でがんばろうとエールを交換しました。
 藤本さんの先輩が長崎県にいるとのこと、私の短大時代の同級生が広島県にいます。「全国は一つ」、命と暮らしのかかった大事な選挙、お互いに空前のとりくみをしましょう。
2007年5月15日(火)
憲法守る草の根からの運動はこれからが本番

堀江ひとみ県議と
 私は、いっせい地方選挙の中でも、候補者のみなさんと憲法を守りましょうと訴え、選挙後は「候補者」から「県会議員」「市会議員」「町会議員」となったみなさんと、憲法を変えるための手続き法案である国民投票法案を廃案にしようと訴え続けてきました。
 5月14日、主権者である国民を無視したまま、被爆地の心をないがしろにした国民投票法案が、参議院本会議で強行採決され成立したことに、強い怒りを抑えることができません。
 数の力によって、強行採決した自民党・公明党も許せませんが、民主党が委員会の採決にも本会議での無記名投票の採決にも同意し、成立に手を貸したことに強い憤りでいっぱいです。
 この思いを胸に、参議院選挙までの1日1日を、憲法を守る草の根の運動としても力をつくしていきます。
2007年5月7日(月)
連休に英気を養い、さあ、参院選にダッシュです

自宅の前で
 通常の休みの日には、家事と資料整理に追われたりして、家族と語らいの時間をもつことは、あまりできません。憲法記念日の3日に、憲法を守るために改憲手続き法案を参議院で廃案にと街頭宣伝を行った後、4日から連休をいただきました。

 まずは、連休でも家に戻って来ることの出来なかった3人の娘たちに、それぞ宅急便を送りました。
 そのあと、久しぶりに夫婦で出かけました。
つれあいは、釣り客のみなさんに来ていただく仕事をしていますから、世間が休みの日に休みをとることは難しいのです。それでも、半日を利用して前々から行ってみたいと思っていた、自然の中の私流小さな美術館と名付けてある「無限郷・向花坊」に、念願かなって行くことができました。

 次の日は、久しぶりに土いじりをすることができ、花の苗の植え替えをしました。大いに英気を養うことができました。連休明けからは参議院選挙に向けてダッシュです。
2007年5月2日(水)
この候補者ならばと思ってもらえるためにどうするか、改めて問い直して

写真スタジオで
 いっせい地方選挙前半戦・後半戦が終わり、いよいよ参議院選挙です。これ以上、日焼けしないうちにと、ポスターに使う写真撮影に臨みました。
 「みなさん、よろしくお願いします。」の気持ちで、カメラの前に座りましたが、どうしても緊張してしまいます。「もっと笑顔をお願いします。」のカメラマンからのリクエストに、ついつい「にっこり」とつぶやいてしまい、カメラマンの笑いをさそってしまいました。


 出来あがりはどうなるでしょうか。多くのみなさんの手を借りて掲示板に張り出していただくことになるポスターです。「よし、まかせとけ」と、張り出してもらえるポスターになればと思っています。


 そして、「この候補者ならば」と思ってもらえる活動を、どう展開するのか。その活動を通して、比例代表での日本共産党へ支持5万5千票を得るにはうするのか、改めて自分に問いなおし、さあ、参議院選挙へ。
2007年4月26日(木)
娘の姿にダブる、26歳で当選した新長崎市議の中西あつのぶさん

中西さんと共に
 15年前の春のできごとです。自宅近くの郵便局前で、参院選挙区候補と街頭宣伝中に、赤いランドセルを背にした小学2年生になったばかりの娘(次女)とバッタリ遭遇。
 母親を見つけた娘は、一緒に家に帰ると私の手を握って離さない。私は、「お母さんはお仕事しているのよ。お願いだから一人で帰って。」と、子を説得するしか頭に浮かばなかった。
 話し終えた参院選挙区候補(当時、石川悟氏)は、「お帰り」と娘を抱き上げてくれ、宣伝カーに乗せ、自宅に送ってくれた。安心した娘は、「お母さん、いってらっしゃい。」と、私の手を離してくれ、街頭宣伝を続けることができた。

 その娘が、この春に大学を卒業して社会に巣立ちました。3週間の研修を受け、本社勤務が決まりました。それまで、どこに赴任するかわからなかった娘と、どうしても重なってしまうのが、中西あつのぶさん。
 兵庫県出身の彼が、初めて赴任したのが長崎市。仕事を通じて深まった社会の矛盾を正し、若者の声を政治に届けたいと、職を辞して市議会に挑戦をし、見事26歳で当選しました。
 新しいスタートをきった中西あつのぶ市議と娘に心からのエールを送り、若者の瞳がくもることのない社会をめざして、いっせい地方選挙で奮闘されたみなさんと、改めて頑張る決意をしました。
2007年4月10日(火)
ひとみさんがトップ当選。この勢いで後半戦もがんばります

当選が決まったとき、長崎市長候補の山本さんとともに、堀江さんと握手
 第一関門をみごとに突破です。堀江ひとみ県議がトップ当選で誕生しました。これまで中田晋介県議の担ってきた大切な役割を失ってはならない。堀江さんになら任せられるという日本共産党の議席への熱い期待が寄せられた結果です。一緒にたたかった私としても、こんな嬉しいことはありません。
 それだけに、県民の命と暮らしを守る仕事を任せられた私たちは頑張らなければと、いっそう身が引き締まりました。
 51歳の誕生日は選挙戦真っ只中の4月3日。この日までに50冊の本を読破する目標は達成できませんでしたが、田村貴昭衆院比例予定候補者と政党カーで弁士を務め、忘れられない誕生日にもなりました。
 昨日、10日ぶりに自宅に戻り今日1日休養します。明日からは、いっせい地方選挙の後半戦で市長、市議、町議の候補者全員の勝利をめざしてフル活動です。