有明海異変―諫早湾閉め切りから4年C

断たれた収入/漁民は立ち上がった

しんぶん赤旗2001年4月13日付

 有明海にいる魚は150種、貝類は140種、その他150種にのぼるといいます。
 そのなかには、サケやマスのように、生まれた場所に戻ってくる魚がいます。
 それがわかったのは、昨年のこと。長崎県水産試験場の研究の成果です。トラフグが、いったん外海に出た後再び、産卵のために有明海に戻ってくることが確認されたのです。トラフグは、九州の北西域から北は青森まで回遊するといいます。
 諫早湾が幼稚魚が育つ「揺りかご」なら、有明海そのものが、外海にとっても大切な「揺りかご」だといえます。

海を糧に生活

 諫早干潟は消え、魚介類は減り、漁業者の収入の道は閉ざされました。代わりに増えたのは、プランクトンと借金、そして、立ち上がる漁民の数でした。
 「わたしたちは海を糧に生活してきた。その収入がない。その時点で限界だ」。タイラギ漁で栄えた佐賀県太良町の大浦漁協、竹島好道組合長は言います。

 2000年3月25日に大浦漁協の有志が諫早湾干拓の中止を求めて海上デモしたときは、16隻、約40人。ことし元日には、約200隻。1月28日には、1400隻、6千人が諫早湾に集結しました。
 熊本県荒尾市のノリ漁業者、隅倉紅一さん(60)も、そのなかの一人でした。ノリの出来が良ければ、1千万円を超す売り上げも、乾燥機をはじめとする機械が支えています。機械の耐用年数はわずか8年。借金を抱えているため、一、二割の収入減でもとたんに苦しくなります。

 隅倉さんの家では、新しいノリ全自動乾燥機が「動かないままジーっとしている」状態です。息子が後継者の道を選んだ3年前に買い替えた機械です。関連機械を含めて2千数百万円の借金が残っています。収入が安定していた有明海沿岸では、漁業後継者が多く、それがいま、悩みに変わっています。

長崎の漁民も

 長崎県有明町漁協の松本正明組合長は、四年前、息子が後を継ぎました。「いまになって後を継がしてよかったかと考える。漁業を営む上で自分に誇りを持っている。息子にも誇りを持って漁業をしてもらいたい。だから、『元の宝の海に返してほしい』と思うわけです」
 有明町漁協は、3月26日には、九州農政局を訪れ、諫早湾干拓事業の見直しと排水門の開放を求めました。諫早湾干拓中止を求める声は、長崎の漁民にも広がっています。


有明海異変―諫早湾閉め切りから4年D

農地造成/入植、営農見通しなし

しんぶん赤旗2001年4月14日付

 「食糧増産」を目的に1952年にスタートした大長崎干拓構想。それが「水と土地づくり」の長崎南部総合開発計画へと二転、三転、当時の金子岩三農相のひと声で諫早湾干拓事業となりました。「干拓は必要ないけれど、農水省の干拓屋の失業対策でやるんだ」との有名な話のなか、表看板を「優良農地と防災」に書き換えたのです。(写真は工事が中断されている干拓農地・西工区)

広い減反面積

 長崎県の諫早平野で30年以上農業を営んできたという諫早市小野町の男性は、「減反で荒地がいっぱい。後継ぎもおらんのに、高い金を出して入植する者はおらんよ」といいます。

 諫早湾周辺の1市10町では、95年までの10年問に中核農家が約2200人に半減。県内の減反面積は約9400ヘクタール(昨年度)で干拓農地の6.7倍にのぼっています。

 「優良農地」という看板に疑義をとなえる元長崎大学の宮入興一・愛知大学教授(財政学)は、「比較的平坦で広いという一点を除けば『劣等農地』と言って過言ではない。それを『優良』というのは詐欺まがいの誇大宣伝」と言いきります。

 複式干拓によるこの農地は、大部分が調整池の水位以下で排水不良、塩害による畑作は困難、きれいな農業用水が確保できない、地盤沈下がつづき、価格は周辺農地の1.5倍(98年に大幅値下げ)など、およそ「優良」とは縁遠いというのです。

 農業用水に利用しようとする調整池の水質は悪化するばかりです。県農林試験場での研究歴26年の藤原帝見さん(87)は、「心配されているように、重金属や合成化学物質が溶け込む危険のある水は絶対に使えない」と指摘します。

畑作は至難の業

 昨年6月、県は小江干拓地試験は場(高来町)で栽培したバレイショやキャベツなど、中央干拓地での営農品目になっている野菜の実験結果を発表、「収穫は標準以上、品質もまあまあ」と力を込めました。
 ところが、「土づくりの途中なのに出来すぎでは…」と指摘され、「二倍の肥料を使い、人件費は度外視して手間をかけた。干拓地ではそこまでできない」と通常栽培ではなかったことをあっさり認めました。ここでも「入植者を集めんがための誇大宣伝では…」と批判続出でした。
 前出の藤原さんは、「泥干潟干拓地での畑作は至難の業。試験作物はできても経営は別ですよ」と断言します。

 干拓事業の最大の眼目であったはずの農地造成による「作物生産効果」は、農水省の試算でも事業全体の効果の18.5%を占めるにすぎません。
 諫早湾干拓事業の是非が問われているのに、事業推進の理由として、農地の必要性を訴える声は国からも県からもいっさい聞こえてきません。


有明海異変―諫早湾閉め切りから4年E

防災対策/『干拓ありき』から転換を

しんぶん赤旗2001年4月15日付

 長崎県は3月末、諫早湾干拓事業の推進のために、累内外の新聞に1600万円かけて全面広告を掲載。農地造成にはまったくふれず、防災効果を並べ立てました。諫早湾干拓事業がかかげる防災効果は、@高潮A洪水B低地の排水不良――の三つです。国・県はこれまで、1957年に死者・行方不明760人を出した諫早大水害をもちだして、防災効果を宣伝してきました。

 しかし、3月9日の長崎県議会農林水産委員会でのこと――。「低平地の排水対策に効果があるが、大水害の市街地には効果はない」(県農林部の国弘実参事監)
 日本共産党の中田晋介県議の質問に、県はこう答えたのでした。

佐賀では着々と

 有明海沿岸、とくに北西部には泥干潟と干拓地が広がります。干拓地のほとんどは、ゼロメートル地帯。どこでも、高潮被害と低平地の排水不良に備えて対策を講じてきました。
 諫早の低平地でも、住民は排水不良や高潮で農地や住宅の浸水被害に苦しみ、水害の不安と防災効果への期待を持っています。

 しかし、諫早だけが干拓事業を防災工事にしてきたのです。隣の佐賀県では、高さ7.5メートルの海岸堤防建設が進んでいます。天井川になっている河川や低平地を冠水から守るため、毎秒60トンの能力をもつ排水ポンプ場も完成しており、「フル稼働なら25メートルプールの水を5秒間で排水完了」「一昨年の6、7月の集中豪雨でも60%の稼働で十分だった」(佐賀県土木事務所)といいます。(写真左は「宝の干潟・有明海との新たなるふれあい」と銘打ってすすめられている佐賀県の海岸堤防工事=佐賀県東与賀町)

 一方、同じころ、諫早では潮受け堤防が完成していたのに、低平地の冠水は続き、「排水は万全」としてきた農水省の主張は事実で崩れました。

50年前のまま

 長崎県諫早市周辺の既存干拓地には、緑色の小麦畑が広がります。美しい農地とは対照的に、旧海岸堤防は老朽化しています。継ぎ目は段がつき、あちこちで10センチも穴が開いています。(写真右は「地盤沈下で大きなすき間ができ、修理もされない諌早の旧堤防=長崎県諌早市)

 吉次邦夫諫早市長は、農水省第三者委員会でこう告白しました。「(諫早湾干拓で)潮受け堤防をつくるということで、既存堤防の整備をまったくやってこなかった。約50年前の堤防がそのままなのでボロボロだ」
 諫早湾の干潟を守る共同センターなどは、"潮受け堤防先にありき"でなく、「旧堤防を強固に補修し、排水ボンプを増強すれば、干潟の再生も防災対策も両立できる」と国や自治体に申し入れています。

 諫早干潟緊急救済本部の山下八千代代表は言います。「『干拓は防災のため』とはとてもいえません。干潟をつぶし、低平地の防災対策を放置してきた国・県の責任は重い。きちんとした防災工事を急ぎ、ムダな干拓事業は中止か見直し以外にありません」

(この連載は、西部総局・山本弘之記者、長崎県・田中康記者が担当しました)

 
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