「宝の海、生命の海」といわれてきた有明海の異変。「ギロチン」とよばれた諫早湾開め切りから4月14日で4年。ノリ凶作、底生動物や魚介類の激減など、海の変化と漁業者の暮らしを追い、諫早湾干拓の問題を検証します。
「このままいけば、有明海はただ塩辛い水があるだけになる」―大浦漁協の竹島好道組合長は語りました。
大浦漁協は、有明海の奥部、佐賀県太良(たら)町にあります。高級すし種などに使う二枚貝のタイラギ漁で栄えてきました。しかし、3年連続休漁です。
いま組合員の半分以上が出稼ぎに出ています。夫婦でタイラギ漁の出稼ぎに出ている世帯も20組以上います。行き先は瀬戸内海。10日間働き、大潮の5日間帰ってさます。
タイラギ漁は、夫が潜水服を着て海に潜リ、妻が船の上で空気を送る管を操作します。二人の息が合わないと安心して漁ができないため、そろって出稼ぎにいくことになります。
大浦漁協の大鋸(おおが)長司さん(34)も、その一人。8時間潜り、夜7時には疲れて眠る毎目。「長く潜るのだから、きついのはわかってのこと。ただ子どもと離れるのがかわいそうで…」
家には、中学校に入学する長女、小学五年生の次女、三年生の長男。おばあちゃんが世話をしています。
出稼ぎ先の漁師の家の二階で、夜、携帯電話が鳴ります。電話に出た妻の耳に、長女の声が飛び込んできます。「お母さん、こんど帰る日は入学式だよ」「忘れてないよ。元気かい」
この出稼ぎも4月20日で終わりまず。「その後は、仕事があるのかどうか」
大鋸さんは言います。「海がよみがえるまで何年かかるかもしれんが覚悟の上だ。それまで生活がもちこたえられるか。海を元に戻さんといかんけん。それには排水門を開けることだ」
出稼ぎにいかず残る漁業者、大鋸幸弘さん(44=写真)も同じ思いです。「いろいろな条件が一つでも崩れたら、生態系は壊れる。われわれをいちばん苦しめているのは諫早干拓だ」
有明海の異変を全国に注目させたノリの凶作。いちばん湾奥に位置する佐賀県は、全国一の生産額を誇ってきました。
同県川副(かわそえ)町のノリ漁業者、山田和之さん(54)は、3月31日、諫早湾干拓工事の中止を求めて抗議の座り込み現場にいました。ノリ養殖35年。他の季節は、スズキやクルマエビ漁も営んでいます。
「諫早湾を閉め切った翌年ごろから流れがおかしか。魚もおらん。なんかおかしかと思っていた。ついにノリにきて、原因はやっぱり諫早干拓だと確信した」
有明海…熊本、福岡、佐賀、長崎の四県に広がる九州最大の内海。水深は平均20メートルと浅い。6メートルという日本一の干満差をもち、潮流も速く、湾口部で最大7ノット(時速13キロ)に達するが、近年、潮流が大きく変化している。
有明海だけに生息する生物、特産種は23種を記録します。
湾奥の福岡県柳川市にある筑後中部魚市場(写真)。有明海産の魚介類がそろうのが特徴です。朝5時から始まったセリの合間に、三村忠司次長は「地物があるという魅力がだんだん失われている」と語ります。
有明海産の水揚げ量は、月200トン前後。五年前から毎年10〜15%減っています。二枚貝のタイラギ、アサリ、アゲマキははとんど姿を消し、シタビラメ、スズキ、クルマエビ、ワタリガニも減っています。
宮崎嘉冶市場長は言います。「ひどかですよ。子、孫、将来のために海を元に戻してもらわないといけない」諫早湾は別名、泉水海。魚や貝などが「泉のようにわく」ほど豊かな海で、稚魚が育つ「有明海の子宮」とよばれました。
日本の干潟の4割が有明海にあります。
有明海の干潟の14%が、諫早湾閉め切りで失われました。干潟が高い浄化能力をもつことはよく知られています。ことし3月末まで長崎大学教授をつとめた宮入興一氏(現・愛知大学教授)は、「諫早干潟の下水処理能力は単純計算で約30万人分」と試算します。
東幹夫・長崎大教授(動物生態学)は言います。「諫早湾は『子宮』と同時に、機能の高い『腎臓(じんぞう)』の役割を果たしていた。諫早湾閉め切りで『子宮』と『腎臓』をいっぺんに摘出してしまった」
有明海は、瀬戸内海と並ぷ最大の生物生産力をもっているといわれてきました。
富栄養化と高い浄化能力の徴妙なバランスのうえにもたらしてきた恵みです。
有明海では、河川から流れ込んだ「有明粘土」といわれる粒子と、水中の窒素やリンなどの栄養塩や有機物がくっついた「浮泥(ふでい)」が、大きな潮汐(せき)によってかぎまぜられ、海中に浮いています。
浮泥をプランクトンや底生動物か食ぺそれを魚や烏が食ベ、栄養塩や有機物がうまく循環して、豊かな生命をはぐくみ、人間が魚介類やノリとして、その恵みを海から取り出してきました。
富栄養化が進むと、プランクトンが大量に増殖し、赤潮が発生し、魚介類や底生動物、ノリの栄養を奪いとってしまいます。
有明海は、瀬戸内海より富栄養化していて、いつ赤潮が発生してもおかしくないのに、これまで赤潮被害ほとんどありませんでした。干満の差が大きいため潮の流れが速く、上下に海水がかきまぜられ、酸素がゆきわたり、浮泥や干潟を通して栄養塩や有機物が取り除かれたからといわれています。
こうした有明海の特徴が失われ、生態系のバランスが崩れています。
異変は、ノリ不作の前から起きていました。
諫早湾対岸の熊本県荒尾市。ことし同県でノリの色落ち被害が最も大きかった地域です。三池港から長洲まで南北9キロにわたって、奥行き最大3キロの干潟が広がります。かつて県内有数のアサリ産地でした。1970年代、熊本県産のアサリは、全国の漁獲量の4割以上を占めました。
「アサリが塚のように立っていた。一潮(15日間)で50万円の手取りがあった」。85年に2万3千トンだった漁獲量は、99年にはわずか2千3百トン、十分の一まで減少しました。
この20年来、筑後大堰、熊本新港、三池炭鉱の海底陥没。開発や埋め立てで、干潟は減り、有明海の地形が変わりました。じょじょに海に異変が起きていました。
同市の牛水漁協の片山大之組合長は言います。「いまアサリは皆無。干潟はきれいな砂泥質だったが、ヘドロがたまるようになった」
有明海全体の漁獲量は、諫早湾干拓工事が始まっ89年ごろから目に見えて減少。そして、ついに異変が訪れました。
97年4月14日、諫早湾の三分の一、3千5百ヘクタールが「ギロチン」で閉め切られ、有明海の2%が一度に消えました。
変化はいっぺんにきました。
その年の夏、猛毒赤潮が発生。半年後には底生動物が激減。酸素のほとんどない水塊が恒常的に生まれました。潮流が遅くなり、あちこちで流れの向きが変わりました。
ワタリガニがとれなくなった長崎県島原半島、有明町漁協の松本正明組合長は、漁船のGPS(全地球的位置決定システム)を使って、実際に確かめてみました。
とれなくなった漁場と、底生動物が激減したところを照らし合わせました。結果は、ひったり一致。「エサの生物がいなくなったのが原因だ」
「潮流が変わった。遅くなった」。有明海沿岸の漁業者は、どこでも同じように海の変化を語ります。
大きな干満差と速い潮流があるため、富栄養化しながらも大きな赤潮被害がほとんど発生しないという有明海の特徴が失われてきたのはなぜか。月の引力で起こる「潮汐振動」と、湾の面積と形によって決まる「固有振動」が共振して、大きな干満差を生み、速い潮流をもたらしていたが、地形の変化によって共振しなくなった―日本海洋学会海洋環境問題委員会の提言は、こう指摘します。
「これまでの開発に…諫早湾閉め切りが加わることによって、干満差がじょじょに減少する段階から急激に減少する段階に入った可能性が考えられる」