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2006年11月20日(月)「しんぶん赤旗」

列島だより    日本共産党

この地で議席に挑む 私の思い


 来年はいっせい地方選挙と参院選挙という2大選挙のある年です。いっせい地方選挙は4カ月後に迫りました。この地方選挙で、日本共産党の議員のいない自治体で立候補を決意し活動を始めた人や、議席継承のため移住して頑張る人々がいます。草の根から政治革新の波を! その先頭に尾上さんに手記を寄せてもらいました。


長崎・東彼杵町 尾上 庄次郎さん(55)

地域と農業守るために

住民と話す尾上さん

 「東そのぎにも、住民の願いをまっすぐ議会にとどける日本共産党の議席を」―。地域新聞「民主長崎」十月号外はこの見出しで、来年の東彼杵(ひがしそのぎ)町議選挙への私の立候補発表を報じました。

 私は現在、西九州茶農業協同組合連合会に勤務しながら、茶園と茶の加工場を経営する農民です。自宅のある地元では「集落の会合で話してくれ」と、さっそくの注文がありました。しかし、家族の反応は厳しいものでした。

 八十二歳になる母親は「自分が死ぬまで恥はさらしてくれるな」といいます。妹たちは「仕事を中心にした方がよい」といい、親戚(しんせき)やいとこたちは「票は入れるけれど、表立ったことはできない」といいます。

 でも、どうしたことでしょう。私が公然とした活動を始めると、母は、地域へ配布するアンケート用紙やビラの手折りを手伝うなど、変わってきました。うれしいかぎりです。

 昔、農家の人は、「共産党」というと「家を取られる」「北朝鮮と同類か」とか、「言論の自由がない」とかいいました。しかしいま地域では、自民党と保守の基盤だった農協は広域合併が進み、政党支持の締めつけや個人への嫌がらせはなくなりつつあります。

 それに加えて、コメの減反押しつけなど、自民党農政への農民の不信は大きく、深くなっています。後継者は農業では食べていけず外に働地図きに出るし、山間地では田んぼが荒れ、もとの山に戻りつつあります。

 こういう政治でいいのか! 農業を振興させたい! という思いが、私を町議選挙への立候補を決意させた要因のひとつです。

恩師の影響で

 もうひとつ、私を立候補に突き動かした要因があります。それは、私が四国・高知市の高知短期大学で学んだときの恩師・梅原一さんの影響です。

 梅原さんは高知県の須崎市長や自民党県連総務会長などを歴任した方ですが、一昨年(二〇〇四年)十二月に結成した「こうち(高知)九条の会」に参加し、同会代表の一人に選ばれた方です。そのことを報じた「しんぶん赤旗」(〇五年一月一日付)で、こう語っているのを知りました。

 「戦争にいいも、悪いもない。どんなことがあっても戦争をしてはいけない」「憲法と教育基本法からはずれた間違った政治と、それに妥協する政治が、日本の教育を破壊し社会を荒廃させてきた」

 まったくそうだと思います。私ももう五十五歳です。第二の人生を有意義に、自分の信じる道で社会に尽くしたい、と考えるようになりました。

電話が次々と

 地域に届けた「民主長崎」号外に私は「『ふたたび子どもたちを戦場に送るな』を信条に、日本がふたたび戦争する国にならないためにも、地方議会で住民が主人公の立場をつらぬいてがんばります」と書きました。

 号外を見た方々から電話が次々と来るようになりました。回収したアンケートにも期待の声が書かれています。

 「国保や医療費が上がって生活が厳しくなった」「だれか議員が地元にいないといけない」…。

 地方の政治はすべて国の政治につながっています。だれかが動かなければ政治はよくなりません。党彼杵支部の人々と力を合わせ、その波の一つに私はなります。(おのうえ・しょうじろう)