「しんぶん赤旗」2007/4/26
香焼、伊王島 定数一でこうして勝利した 
                            長崎県委員長・山下満昭

 日本共産党は、定数一の議席をめぐってたたかわれた長崎市議選の二つの選挙区、伊王島区で内田隆英市議が、香焼区で津村国弘市議が激戦に競り勝ち、前回の補充選挙につづき議席を確保しました。どんなたたかいをしたのか、住民とどんな関係をつくってきたのか、どんな党づくりを進めてきたのか…。長崎県委員長の山下満昭さんに手記を寄せてもらいました。


二年前に続いて、一人区の激戦に勝利した、長崎市香焼町と伊王島町。ともにたたかったものとして、うれしさも格別です。常幹声明でも第一にとりあげられたことは、選挙後の会議でも「すごいことだ」と話しあわれ、県党の確信になっています。

住民要求実現 行動力に信頼
伊王島

 二年前は三つどもえだった伊王島では、今度は旧町の元議長との一騎打ちになりました。「一対一では、今度は内田さんは苦しいだろう」というのが島の人たちの共通した思いでした。
伊勢エビやアワビを手にした青年たちが祝福に
 しかし、内田隆英市議の住民要求をかかげての議会内外の活動と支部の要求・宣伝活動は、しだいに島の空気を変えていきました。

 測溝や生活道路の整備など旧町時代には実現できなかったことが、内田市議の奮闘で次々に実現していきました。
 郵便局の集配廃止問題や被爆体験者医療問題(国が支援事業の予算を削ったため、医療費助成を受けられない被爆者が出た)などでは、何回も国と直接交渉するなど内田市議の抜群の行動力に市民の信頼が強まっていきました。

 合併協議会に参加していた元議長が、住民には何も言わず生ゴミの収集回収を減らすことに合意していたことなどは、「伊王島民報」で情報を提供して、「こういう人が代表でいいのか」と率直に問いかけました。

 旧町の元町長を最大の後ろ盾にした相手陣営は、町民への締めつけを強め、カトリック信者には「カトリックでも共産党に入れるものがいる」と脅しをかけてきました。

 選挙になるとしだいに本性をむき出しにして、「伊王島は共産党の村になった。ここは日本で、共産圏ではない」とまで言い出しました。

 こうした反共攻撃に対しては、「みんなが選んだ代表に、共産党だからダメというのは、住民を愚弄するもの」と、反撃。「地元の代表を選ぶ選挙には、住民の願いをまっすぐ届ける人を」と訴えました。
 また、「実績も人柄も良いが、共産党が…」というカトリック信者も少なからずいました。こうした人たちには「憲法守れや、核兵器の廃絶でカトリックのみなさんと共同しています。この共同を広げましよう」と「民報」で呼びかけました。

 支部は二年前の勝利から、「次の選挙で勝てる」党をめざして、努力してきました。毎週の支部会議を開き、支部長手作りの支部ニュースで決まったことを全党員に伝えてきました。
 「しんぶん赤旗」読者の有権者比が高い中、この一年間毎月、読者を増やし、その陣地を前進させました。党員も増やして党勢拡大に一貫して努力してきました。

 くり返し後援会員に届ける後援会ニュース、全世帯に一時間あまりで届ける「民報」も定期的に発行し、住民の有力な「情報源」として定着させています。
 神社の氏子会、寺の総代、伝統行事のペーロン…などなど、支部の党員はあらゆる住民の組織の中で活動し住民に結びつき、信頼されるよう努力していることも大事なことです。

 投票日から一夜明けた伊王島では、多くの住民が「よかったよかった」と自分の事のように喜び、「老人交通パスなど公約をぜひ実現してほしい」と、期待の気持ちを語っていました。
「よい党はよい」住民が反共反撃
香焼

 香焼は選挙直前まで「無投票」が濃厚な状況でした。ところが、告示三日前に突然、前町議が立候補を表明し選挙に突入しました。
 党支部はただちに緊急集会を開き、三菱重工をバックにした相手候補とのたたかいに勝ち抜くことを、意思統一。一気に臨戦態勢をつくり上げました。

 第一声で相手候補は、「共産党を倒すために立候補した」と叫び、ポスターにも、選挙カーにも「共産党にNo!」と書き込むなど、まさに反共丸出しの選挙となりました。
 党と後援会は、津村国弘市議がすべての町民にわけへだてなくその願いの実現に力を尽くし、台風被害対策などで抜群の実績を上げてい投票日の翌日、朝のあいさつする津村市議に駈け寄る市民ることを紹介しながら、「住民のことより、共産党をつぶすために立候補するという人で良いのでしょうか」と対話活動を強めました。

 地域の問題で津村市議の活動ぶりを見た自治会長は「手足として住民に尽くしてくれる人をはじめてみました。共産党でも何でも、良いものは良い。共産党だからダメというのは許しません」という談話を、「香焼民報」に寄せてくれました。

 出遅れを挽回しようと、反共陣営は旧町時代の元町長、元与党町議、三菱重工労組などを結集し、反共宣伝と全戸訪問などに総力をあげました。最終盤には、民主党の副代表の高木義明国会対策委員長までやってきて、反共候補を応援するなど、まさに総力戦でした。

 激戦を勝ち抜いた津村国弘市議は「党支部の日常活動と伝統の力が土台にあります。そして、常に全住民の利益のために、行動するという党綱領の方針が力になりました。そのため、旧町時代にはなかった幅ひろい人たちとの共同と運動が広がり、党への信頼が強くなり、総がかりの反共攻撃をうち破ることができました」と語っています。

 党支部はこの一年毎月のように、議会報告会や懇談会を開き、議会の様子を知らせるとともに、住民の要求をつかみ、その実現に努力してきました。
 被爆体験者医療問題では、申請書を書くところから住民を援助して喜ばれました。
 台風で三菱の工場のスレートが飛び近くの民家に被害を与えたとき、ただちに地域自治会とともに対処を申し入れました。それを受けて三菱は大規模な改良工事に着手し、周辺住民から喜ばれています。

 支部は毎月、必ず党勢拡大の統一行動を行い、この一年間、毎月読者を増やしています。新入党員が一つの地域のビラ配布を担当し、その党員のつながりで自治会長が事務所開きに参加するなど、支部に新たな活力をもたらしてくれました。

 投票日の翌日、津村市議には多くの市民が駆け寄り激励。ある自治会長は「これでまた、私たちと一緒に行動してくれる代表を選ぶことができた。本当にうれしい」と話してくれました。