選挙の結果について報道した西日本新聞は、「共産党候補の方が私たちの思いを伝えてくれる気がした」という、党候補に投票した自民党支持者の声を紹介しています。合併によって大きく変わる住民の意識を背景に、「合併選挙は政党間の力関係を大きく変えるチャンス」ということを証明したのが、長崎市の増員選挙でした。
勝利した第一の要因は、候補者と支部、県・地区機関が「1人区でも絶対勝つ」という構えでたたかったことです。昨年秋までは、「一人区でもたたかうが、当選するのは容易じゃない」という気分がありました。
しかし、候補者を決め、実際に活動を始めると、情勢がどんどん変わっていきました。香焼では自公民連合が「2人出ると共産党に負ける」と自民党員の前町議が降り、創価学会員の前町議に候補者が一本化されました。伊王島では合併への不安などから、宗教や立場の違いを越えて、支持と推薦人が広がっていきました。
こうした現地の実践や、福岡や佐賀の県委員長の選挙にかける姿勢に学び(昨年末の九州ブック会議で)、私自身も本格的な構えをとることができ、「勝つためには考えつくことは全部やる」と思い切ることができました。
第二に、選挙の性質や実態をよく見て、それにふさわしい論戦を行ったことです。定数一の選挙は「たった1人の旧町の代表」を選ぶ選挙です。合併に賛成した人も、反対した人もみんな不安を持ち、いろいろな願いを持っている。その願いをまっすぐに届けることができるが党の議席だということを、様々な角度から明らかにしました。また、その地域を良さを生かした町づくりをすすめるためには、長崎市のいいなりでなく、ズバリ発言する人が必要であることも強調しました。
初日からの前町長を先頭にして、激しい反共攻撃が行われました。これには、「新しく長崎市になり、みんなが協力して行こうというときに、『共産党の町にするな』と町を二つに分ける態度はどうでしょうか」と反撃しました。
相手の言い方にかみ合った積極的な論戦で最終盤は香焼でも伊王島でも、相手陣営が言い訳せざるをえませんでした。
第三に、これまでのカラをうち破った組織活動です。旧町の与党か野党か、合併に賛成か反対かなど、様々ないきさつを乗り越えて、文字通り全有権者に働きかけることを最後まで追求しました。
伊王島ではカトリック信者が 60%以上、香焼でもカトリックは保守議員の基盤でした。こうした信仰を大切にする人たちと、どう心を通わせるかも大事な課題でした。中央の援助を受け、「ともに町をよくするために力を合わせよう」と宗教者との対話をすすめたのは、初めての経験でした。
後援会ニュースを読んでくれる人を最後まで広げ、地元の人たちの力を引き出す努力をつづけました。伊王島ではニュースを8割の家に届けることができました。香焼では、多くの人たちが選挙に参加し、若い母親のハンドマイク宣伝は、支持を広げる大きな力になりました。
第四に、党づくりと「しんぶん赤旗」読者や党員を増やす活動に力を入れたことです。香焼と伊王島は、党員の人口比がともに3%を越えるなど、長崎県では抜群の党勢を持っています。そのことが勝利を支える土台となりました。
同時に、前回選挙より読者が減少していることを重視し、香焼で10人、伊王島で14人の読者を選挙前に増やしました。伊王島では12票差の勝利だっただけに、支部長は「あの拡大が勢いをつける上でも非常に重要だった」と実感を込めて語っています。
また、すべての党員が力を発揮するように、香焼では40人の活動に参加できていない党員を訪問。全員が党の前進を願い、選挙への協力を約束してくれました。投票日前日まで、「あと1人の支持を」と、全党員に呼びかけ続けました。こうした活動の中で、選挙中に2人の女性を迎えることもできました。
第五に、候補者と支部の日常活動です。自治会や各種団体、サークルなどで活動し、日常的に住民と深く交流し心を通わせている。そうしたことが、全有権者規模の対話ができる大事な基盤となっています。
2人の当選が確定すると、事務所の電話はいつまでも鳴りやまず、メールも含めて全国からお祝いと激励の言葉が寄せられました。合併による選挙で全国で初めて一人区のカベを突破することができた、という実感を持つことができました。
この教訓を生かし、当面五月までつづく合併選挙での全員当選めざし、候補者と支部のみなさんと心ひとつに頑張りたいと思います。
長崎市の増員選挙。一人区こうして勝った
山下満昭県委員長の手記
2005年2月12日、「しんぶん赤旗」の学習党活動版に掲載された、山下満昭県委員長の手記を掲載しました。