「しんぶん赤旗」2024/7/20

鈴木史朗長崎市長 インタビュー 

 8月6日、9日に、広島・長崎への原爆投下から79年を迎えるのを前に、被爆地・長崎市の鈴木史朗市長に、平和行政、原爆被害者救済や核兵器禁止条約について聞きました。 

−−来年被爆80年に向けた平和事業についてどのような計画がありますか。

 80周年事業として、原爆資料館における展示資料のリニューアルや旧城山国民学校校舎の保存・活用にかかる耐震・史跡整備などに着手します。また、平和活動団体が実施するイベントや市の活動への補助などを行う予定です。

 柱は被爆の実相の継承と平和発信です。

 被爆の実相の継承については、被爆者の平均年齢が85歳を超え高齢化が進み、被爆者の体験をどう継承するかが課題になっています。若い世代への継承としてピースボランティアなどをとおした平和活動等を活性化し、次代を担う若者の育成をすすめていきたいと考えています。

 平和発信の強化について、核兵器のない世界に向けた国際社会の取り組みが厳しい局面を迎え、現在の世界情勢は緊迫感を増しています。だからこそ、被爆地・長崎が被爆の実相を伝え、核兵器のない世界の実現を強力に発信することが重要だと考えています。

 被爆80年の来年には大きな行事や国際会議が長崎で開催され、多くの人々が長崎を訪れることが予想されます。この機会をとらえ、平和の発信を行い、世界恒久平和の流れをつくっていきたいと思います。

 −−「黒い雨」被害者について、広島と長崎で区別、差別が持ち込まれています。原爆被害者の救済をどう考えていますか。

 広島、長崎は同じ被爆地です。長崎で「黒い雨」などにあった方々と広島で「黒い雨」などにあった方々に対する援護施策に差があってはならないと考えています。広島の援護施策と同様に、同じ事情にある長崎の原爆被害者も被爆者として認定・救済するよう長崎県とも連携して国に強く働きかけていきます。現在、長崎の「黒い雨」等に関する調査を要望しています。

 国が指定している被爆地域は同心円状ではなく東西約7キロのいびつな形となっており、不公平感につながっています。

 「黒い雨」広島高裁判決を受け、国は広島で新たに被爆者健康手帳を申請する人に対し、11疾病や「黒い雨」にあったことを条件にしています。被爆者援護法に基づき、「原子爆弾が投下された際又はその後において、身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情のもとにあった者」として広島と同様に長崎のすべての被爆体験者を救済してほしいと思います。

 被爆者同様、被爆体験者も高齢化しています。市長に就任した直後に被爆体験者から切実な声を聞きました。一国の猶予もないと認識しています。

−−核兵器禁止条約が発効したもとで、被爆国・日本の役割についてどう考えていますか。

 核兵器禁止条約について、被爆地の長年の願いが結実した者と受け止めています。

 核兵器禁止条約をより実効性のあるものにするために、できるだけ多くの国、核保有国やその同盟国であってもこの条約に参加して貰うことが重要だと考えています。

 それにより条約の実効性がより増すことになると思います。

 そのうえで重要な役割を期待されているのが日本だと考えています。唯一の戦争被爆国であり、核兵器が実際に使われればどういう結末を迎えるのかを体験としてわかっているのは日本だけです。

 日本の固有の立ち位置から核兵器廃絶の議論に積極的に参画して、核兵器のない世界を実現するリーダーシップを発揮するために禁止条約に署名・批准をしてほしいと強く思っています。そのことを広島市とも連携しながら働きかけています。まずは、核兵器禁止条約の締約国会議へのオブザーバー参加をしてほしい。米国の同盟国であるドイツ、オーストラリアもオブザーバー参加しています。情報収集でいいので日本も参加するべきです。

−−「核抑止」論を乗り越えるための努力が核兵器禁止条約締約国を中心に行われています。被爆地としての役割をどのように考えていますか。

 核軍縮・核不拡散、核兵器廃絶に向けた議論において被爆地や被爆者の発信する言葉は重要だと世界に認識されています。被爆の実相を世界に発信し、核兵器が使用されれば、人間に対し、どういう非人道的で残虐なことが起きるか。「人間の安全保障」を促すべく発止していきたいと考えています。それにより平和の尊さを伝えていきたい。

 「核抑止」は威嚇のために持っているといわれますが、人間は「100%」完璧ではなく、トラブルや理性を失った指導者があらわれたり、機械の誤作動などがあれば使用されます。核兵器が存在する限りは使用される可能性はゼロにはなりません。核兵器をなくすことでしか核戦争を防ぐ道はないと思います。それらの思いを被爆80年に向け、世界に発信していきたい。