「しんぶん赤旗」2024/8/9

長崎「黒い雨」証言否定・厚労省が結論
大矢正人長崎総科大名誉教授インタビュー

 厚生労働省は、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館にある証言集から「黒い雨」やちり、灰などが降ったことを確認する作業を行い、その結果、「客観的事実としてとらえることができない」と結論づけました。証言集は、広島と同様に長崎でも「黒い雨」や放射能を含む飛散物が島原半島にまで広がっていたことを証明するもので、それらを否定することに批判の声があがっています。

 約13万件の被爆体験記のうち、国が認める被爆地域外の記述がある被爆体験記は3744件。このうち雨に関する記述は41件、飛散物に関する記述は159件確認されました。

 原爆投下時、風は西から東に吹いていました。

 長崎市の北東に位置する諫早市では「雨」の証言が17件、ゴミや灰などの飛散物の証言は60件もありました。

 ある男性は、「諫早の農場で作業をしていたとき、ピンク色の閃光が走ったかと思うとすさまじい爆音がとどろいた。矢上、絵の裏、諫早方面へ黒い煙とともに燃えカスらしい灰が降り、雨も降った」という証言を残しています。

 これらの証言をどう見るのかを厚労省は専門家に検討するよう依頼した結果、▽被爆体験記は降雨等に関する記載事項が設定されているわけではないため信憑性が乏しい▽天候そのものに関する記述を網羅的に確認していないため調査として不十分▽執筆年が被爆からかなり経過している者が多く、被爆体験から執筆までに記憶の修飾がされている可能性がある−以上のことから客観的事実としてとらえることができないと結論づけました。

 高橋秀人帝京平成大学教授、坪倉正治福島県立医科大学教授、横田賢一長崎大学助教が分析にあたりました。

 

大矢正人・長崎総合科学大学名誉教授 インタビュー

 長年、長崎原爆の放射性降下物がどこまで広がったかについて研究してきた大矢正人長崎総合科学大学名誉教授に聞きました。

 今回の厚労省の証言集調査によって、爆心地から東方20キロ離れた諫早市でも雨17件、飛散物60件の記述があったことが明らかになりました。

 これまで諫早で雨が降った証言じゃ、ノーベル賞受賞者の下村脩さんが著書「クラゲに学ぶ」なかで、諫早郊外長野村小野で「張れていた空はたちまち暗雲に覆われはじめ、私が午後5時に帰宅する時にはしとしとと雨が降った」と記した者でした。今回の調査で雨の証言が増えたことにより、雨域の広がりが明らかになりました。

 例えば、有喜国民学校では「あたりは薄暗くなって来て、上から灰がたくさん降ってきました。『こんなに灰が降ってきて、きたないから教室にはいりましょう』と言ってはいったころ、今度は大粒の黒い雨が降ってきました」。諫早海軍病院では「病院に着いてしばらくすると、夕方のように薄暗くなって黒い雨が降ってきたのです。薄墨のような雨でした。私たちは濡れはしませんでしたが、外にいた人のシャツは染みになっていました」との証言がありました。、

 今回の証言や、米軍と理化学研究所仁科研グループによる爆心地から島原半島までの残留放射線量の測定結果を踏まえれば、国が指定する被爆地域外の広範囲に放射性降下物が広がっていたことは明らかです。被爆80年を前に、政府・厚労省は、広島高裁判決の「原爆放射線の影響が否定できない者は救済されるべきだ」という立場に基づいて、被爆体験者を含め、すべての原爆被害者を救済すべきです。