「しんぶん赤旗」2024/8/11

長崎「被爆体験者」救済に岸田政権は踏み出せ

 9日、長崎市内で初めて「被爆体験者」と面会した岸田文雄首相は「厚生労働相において、早急に課題を合理的に解決できるよう県、市を含め、具体的な対策を調整するよう指示する」と語りました。

 「被爆体験者」から期待の声が聞かれる一方で、不安の声や、すみやかいに被爆者と認めるべきだとの声が出されました。 

 長崎被ばく地域拡大協議会の山本誠一事務局長は、2000年に森喜朗首相(当時)が同様に厚生相に指示したときのことがよみがえると話します。

 森首相は同年8月、世論に押され、従来の考え方にこだわるのでなく内容の精査・研究を厚生相に指示します。厚生省は検討会を設置し、01年の最終報告で、爆心地から半径12キロすべてを被ばく地域と認めず、「健康悪化の原因は、原爆放射線被害によるものではなく、原爆投下に起因するトラウマが精神上の健康に悪影響を与え、身体的な健康度の悪化につながっている可能性が高い」としました。これにより現在の「被爆体験者」が誕生します。

 国が「被爆体験者」と認定する人たちは被爆者であり、平均年齢は85歳を超えています。岸田首相の指示が新たな分断・差別を持ち込むことがあってはなりません。

 国が定める被爆指定地域は東西約7キロ、南北約12キロで原爆が投下された当時の長崎市と、それに隣接する地域。被爆指定地域に科学的合理的根拠はありません。

 原爆投下当時、風は西から東に吹いており、諫早市や島原半島にまで灰を含む放射性降下物が降り注いでいることは米軍の調査などで明らかになっています。同時に多くの被爆証言により灰やちり、「黒い雨」が降ったことが確認されています。

 「黒い雨」に限定することや、支援する対象疾病を増やすなどの小手先でお茶をにごすことは許せません。

  9月9日には長崎被爆体験者訴訟の地裁判決が出ます。

 全ての原爆被害者を救済することは、「核兵器のない世界」の実現が唯一の戦争被爆国日本の使命とし、「長崎を最後の被爆地に」と訴えるなら、「被爆体験者」を被爆者と認め、広範囲に降り注いだ放射性降下物による健康被害を受けた人々の調査・救済を行い、世界に核兵器の非人道性を知らせるべきです。