「しんぶん赤旗」2023//

広島にも長崎にも「黒い雨」 島本チトヱさん(86)

 長崎には原爆被害に遭っていても、国が定めた被爆地域外にいたとして被爆者と認められない「被爆体験者」がいます。
 島本チトヱさん(当時8)は、長崎市東部の橘湾に浮かぶ牧島に住んでいました。
 8月9日は、親戚の子どもと弟と3人で家から少し離れた桜の木の下でセミ取りをしているとき、山と山の間がピカーと光りました。

 

黒いキュウリ

 桜の木から飛び降り、弟を抱っこし、親戚の子の手を引いて家に戻った瞬間ドーンというものすごい音と爆風で飛ばされ、大黒柱に額を打ちました。

 煙が立ち上り、ホコリや焼けた紙くずが雪のように降ってきました。

 牧島には兵舎があり、海軍の兵士が家に来て「長崎に新型爆弾が落とされた」と話していました。

 空いっぱいに焼けた紙が広がり、半分ほど焼けたお金がたくさん落ちてきたので、お金ほしさに、海に入り、夢中で拾いました。

 「危なかー。帰らんかー」と兵士から言われ、家に戻りました。

 1時間くらいたってからでしょうか。両親が帰ってきました。あたりは真っ暗になり、太陽が真っ赤に見えました。

  飲み水は井戸水です。ひしゃくでくむ浅い井戸で灰をのけながら、飲み、暑かったので、頭からかぶりました。

 畑のキュウリが灰と雨で真っ黒になっていたけど、服でぬぐって食べました。

 畑一面が灰をまとい、3センチくらい積もっていました。

 じっとしていられず、動きまわり、頭や肩に灰が積もったチトヱさんを見た兵士は、「防空壕(ごう)にはいっておらんかー。灰は毒かもしれんから出るな」と怒鳴りました。それでも外の様子が気になり、うろうろしていました。

 兵士が「お金はどれだけ拾ったね?」と言ったので、「捨てたよ」と答えると「その方がよか」と言われました。

 あたりは、昼か夜かわからないくらい暗くなったまま、夜を迎えました。 


咳が止まらず

 頭痛持ちで、胃腸が弱く、50歳くらいからぜんそくを発症。夜になると咳が止まらず寝られなくなりました。10年くらい前に白内障の手術を受けました。

 被爆しているとはずっと思っていませんでした。1954年の第五福竜丸のビキニ事件で放射能の影響を知ると、もしかして長崎にも放射能があるのではないかと思いました 。

 中3、高校の時、白血病で男の子3人がなくなったと記憶しています。

 「このあたりでも、被爆者健康手帳をもらえた人ともらえない人といます。なぜ認めてもらえんとかね」