「しんぶん赤旗」2023/1/21 | |
長崎にも「黒い雨」まぶしくない太陽が |
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島原市 1945年8月9日の原爆投下により、放射能を含んだ「黒い雨」やちり、ほこりは風に乗って長崎県の島原半島にまで運ばれました。米軍マンハッタン調査団と理化学研究所は残留放射線を島原半島でも測定し広範囲に放射性降下物があったという記録を残しています。どこまで原爆による放射線の影響が広がったのか、いまだに解明できていませんが、長崎県は独自に専門家会議を設置し、「雨が降らない場合でも空中の放射性物質は爆風とともに広域に拡散し、灰を含む雨でも、灰そのものでも放射能を有することに違いはない」という報告書を国に提出しています。爆心地から約35〜37キロメートルにあたる島原市での証言を紹介します。(加來恵子) ドーンと鈍い音 内藤啓子(ひろこ)さん(85)は、爆心地から約37キロの島原市三会村に祖母、母、姉、弟と住んでいました。当時10歳だった内藤さんは、祖母と6歳の弟の歯の治療のために歯医者に行きました。 ◇ 治療を終え、帰っていると天草方面からB29が2機飛んできたので、急いで土手に伏せて、通り過ぎるのを待ちました。 お日様は隠れてしまい、あたりが暗くなりました。午後4時すぎ、暗くなっていた空に紅色のまぶしくない太陽が見えました。 けが人が歩いて 多田みづほさん(86)は内藤さんのお姉さんです。 ◇ 三会国民学校は7月20日あたりから休みだったと記憶しています。その頃、空襲が激しく、学校に行っても空襲警報が鳴るたびに家に帰されていました。 8月9日は家にいました。午前11時ごろ、B29が飛んでいるのを見ました。ドカーンという大きな音に驚き、「何?」と思いました。 祖母と妹、弟は歯医者に行っていたので家にいなくて心細かったです。 家の向かいにあった郵便局に母がいたので母に「何があったの?」と聞きましたがわかりませんでした 夕方、真っ赤に焼けた太陽が肉眼で見えました。太陽は出ていましたが、暗くて夕焼けのようにも感じましたが、見たことのない変な感じでした。 午後4時くらいに消防団がカンカンと音を鳴らしながら戻ってきて負傷した人たちを運んできました。 島原にもけがをした人たちが歩いてきていました。 |
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