「しんぶん赤旗」2023/9/1 | |
黒い雨インタビュー |
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原爆投下当時、爆心地から7・5キロの長崎市平間町間の瀬地区(旧矢上村)に、松尾義信さん(9)は94歳の祖母と住んでいました。 屋根吹き飛び 戦争が激しくなり、稲佐山から米軍機に向けて大砲を撃っているのが見えましたが、かすりもしなかったことを覚えています。 8月9日、空襲警報が鳴り、防空壕(ごう)に隠れました。その後、空襲警報が解除され、外に出ました。 午前11時すぎ、祖母と畑に出ていたとき、ピカッと光ったかと思った以降、ほとんど記憶はありませんが、祖母と2人で防空壕に入りました。 爆風で家の麦わら屋根は吹き飛ばされ、障子、雨戸までなくなりました。 あたりが暗くなり、月夜の晩のようになると、祖母が「逃げんね」と一緒に獣道を親戚の家のある八峰地区まで逃げました。 逃げる途中、畑一面に燃えカスや灰が降ってきました。空一面、燃えカスが、まるで「紙ふぶき」のように降り、そのあと、土砂降りの真っ黒な雨に変わりました。 夕方になり、あたりが少し明るくなると家に戻り、屋根を修理しました。 体弱い子ども 50代に変形性脊椎症を発症し、30年くらい前から胃薬がかかせません。 当時4歳だった妻の徳子さんは同じ八峰地区にいて、燃えたカスが飛んできたことを覚えています。 徳子さんが学校に通っていたときには、心臓が悪い同級生がいて、同じ歩調では歩けずかわいそうだったといいます。また、ちょっとした瞬間に鼻血を出す人、体の弱い子どもがいたことも覚えています。 |
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