「しんぶん赤旗」2023/9/2

黒い雨インタビュー 松本忠行さん(87)

 長崎では、原爆被害に遭っていても、国が定めた被爆地域外にいたとして被爆者と認められず、被爆者健康手帳を交付されない「被爆体験者」がいます。

 「放射線の影響は一生抜けんと。身内や親せきに被爆者手帳を持っている人と持っていない人がいる。なぜこんなことになったのか―」。たくさんの薬が手放せず、病気と不安を抱える松本忠行さん(87)の思いです。 

 「わしは、きのこ雲ば見て頭が重くなったと」と語る松本さん(当時9歳)は、爆心地から約8・5キロに位置する茂木町(現長崎市茂木地区)に母親と父親と暮らしていました。

 あたりがピカーッと光り、爆風で家が揺れ、神棚にあげていたものが転がりました。家にいた母親も転び、「爆風」と言っていたことを覚えています。 

 母親は、叔父の子どもを捜しに、松本さんを連れて市内に入りました。多くの人の遺体。馬、牛の死体を見ました。

 母親はその後体調を崩し、手足が腫れあがり「もんでくれろ」と頼みました。松本さんも頭のふらつきや体調が悪くなりました。「ガスば吸うたから亡くなった」と当時語られ、原爆による放射線を含む、チリや灰などの影響により、多くの人が亡くなりました。

 稼ぐことが優先された戦後、松本さんは中学を中退し、父親と一緒に漁師として働きました。

 30代の時、下腹が痛み、心臓、腸と胃を検査。20年前に糖尿病、65歳の時、不整脈と狭心症のためにステント5本を入れています。 

 長崎の被爆指定地域は、行政区で決められているため、被爆体験者らは、当時の政治家の責任を口にします。

 2021年の広島「黒い雨」広島高裁判決の確定を受け、被爆体験者は「自分もこれで救われる」と期待しました。

 「なぜ長崎の被爆体験者を被爆者と認めんとか」。薬箱を前に、語気を荒らげました。