「しんぶん赤旗」2022/6/12

長崎市性暴力訴訟 勝訴確定へ 原告女性記者の思いは―

 

 長崎市で2007年、当時の原爆被爆対策部長(故人)から取材中に性暴力を受けたとして女性記者が市に損害賠償などを求めた訴訟で、田上富久市長は7日、1975万円の賠償を命じた長崎地裁判決(天川博義裁判長)を受け入れ、控訴しないと表明しました。原告側も控訴せず、判決は確定する見通しとなりました。事件から15年。原告の女性記者に話を聞きました。 (内藤真己子)

 

――控訴しないという市長の表明をどう受け止めますか。
 理性的な決断で歓迎します。判決が確定し、暴力の責任は暴力を振るった側にあると社会に示すことができれば、暴力に悩む経験を持つ多くの方の励ましになると思います。平和をうたう長崎でこのような事件は二度と起きてほしくありません。

 市民の喜び届いて
 ――原告勝訴が言い渡された日の会見で、「この判決が社会で暮らし、働く女性の一筋の光となるよう希望する」と述べ、拍手に包まれました。
 会見場の前方席には報道各社の女性記者の姿が目立ちました。また、報道陣がこの裁判の意味をよく理解してくれたことが記事や紙面展開で分かり、うれしかったです。報道されてこそ判決内容が社会に届きます。初めて事件を知る方も多くいる中、長崎市民の方々が喜んでいると話が入り、私の喜びも判決当日より増しています。
 判決では、性暴力があったと認められ、市部長が取材に応じるかのように装って暴力に及んでいることから職務関連性があると認定されました。加えて、別の市幹部が「2人は男女の関係だった」といった虚偽の風説を週刊誌などに流布した二次被害についても、市が防ぐよう配慮すべきで、市に防止義務違反があったと認定。裁判で私が獲得したかった3点はいずれも得られました。
 残念だったことをあげるとすれば、市幹部が二次被害を招いた行為が市の私に対する名誉毀損(きそん)とまでは言えないとされた点です。

記者なら何時でも
 ――2018年に発覚した財務次官のセクハラを機に、女性記者が権力を持つ側の暴力に日常的にさらされていると知られました。現在も細田博之衆院議長による女性記者らへの加害が報じられています。
 記者なら、取材相手から呼ばれたら何時であろうと行こうとします。情報を扱う業務をしているからです。しかし公権力の側が職務に関連付けて記者を呼び、そこでハラスメントに及ぶことは絶対あってはなりません。この長崎地裁判決がそうした暴力を職権乱用だと指摘する判例となります。

傷ついた「命の源」
 ――原告は事件にあい、PTSDを発症したそうですね。
 はい。性暴力の被害は甚大なのに「大したことはない」とされがちです。実際と落差が激しいです。
 私に出た症状を言いますと、不眠や恐怖の持続、事件の光景や体験が思い起こされるフラッシュバックがありました。体がこわばり、食事がとれず、週刊誌が出た後は顔を隠すよう何年もサングラスをかけたまま過ごしました。
 その他、髪を切ったり染めたり、服のテイストを変えるなどして、前の自分を全部捨てようとしました。加害者から自分が一方的に性的対象とされたかと思うと屈辱で、「そう思われたかもしれない要素」をそぎ落とそうとしました。人と会うことも怖く、外勤記者の道は閉ざされたも同然でした。
 性暴力は、普通の暮らしの前提である命の源を傷つけます。症状を克服しようと私がしたことは、朝きちんと起きる、家にこもりきりにならず近くの公園まで行ってみる、清潔感を取り戻すため服をちゃんと着替える、食事を1日1回はとるといったことです。こうした生命の土台作りを、精神科医の力を借りて繰り返しました。

 被害者過失撤回を
 ――深刻なダメージを加えた市は、訴訟で「原告の対応次第で事件は回避できたはず」とし、過失相殺や慰謝料減殺を主張しました。
 判決は市のそうした主張を全面的に退けました。仮に市長が「判決を受け入れる」と言うなら、こうした考えは未来のために撤回してほしいです。被害者の過失だとあげつらうことは、被害者に新たな加害を加えること。たとえ裁判の中であっても理不尽です。市は地方公共団体なのですから、被害者を守り寄り添う姿勢を持つことが大切なはずです。

――社会に望むことは。
 性被害の相談をされたら、軽視せず「誰にでも起こり得ること」ととらえ、話を聞いてほしいです。相談が来た時点で相当深刻なのだと受け止めてほしい。性暴力は人権侵害で、こうしたことを許さない態度を一人ひとりが持つことが、事態の悪化を防ぐことにつながります。身近な所で起きる暴力を見つけ、その芽を摘むことにもなります。