| 「しんぶん赤旗」2022/10/3 | |
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●隠ぺいし続ける国 原爆による放射能により健康被害が生じることを否定できない場合には被爆者と認める―。この広島高裁判決に長崎の原爆被害者も同様に救済されると期待しました。しかし、長崎は切り離され、いまだに救済指針は示されていません。
8月9日、岸田文雄首相は「被爆体験者事業にがんの一部を追加する。速やかに厚生労働相に検討させたい」と発言しました。しかし、そもそも被爆者と被爆体験者を区別し、救済方法を異にしていることが問題です。 ●広島と同様に認めて 峰松巳さん(95)
私は被爆者だ 「被爆地域拡大協議会」(拡大協)の峰松巳会長(95)は、原爆が投下された8月9日、諫早市の航空隊に所属していました。8月23日に除隊になり、汽車に乗らず自宅のある深堀村まで歩いて帰りました。途中、東長崎の矢上村(当時)を通り県庁まで来ましたが、「1キロメートル先の長崎駅まで来ていたら入市被爆と認めるが、そこまで行っていないからあなたは被爆者ではない」と市から切り捨てられました。 「東長崎の矢上村のあたりは、原爆投下後の米国マンハッタン調査団の測定で、放射能の値が非常に高いとされた。そこを歩いて帰ってきたのだから私は被爆者だ」と憤ります。 峰さんは、戦後ずっと慢性胃炎と貧血が続き、苦しみました。深堀の自宅で17歳のときに被爆した弟は、定年退職後に白血病を発症。10年ほど治療しましたが、被爆者とは認められずに亡くなりました。 92歳で胆のうがんのため亡くなった峰さんの妻、フクさんは、被爆地域と認められている土井首(どいのくび)地区に住んでいましたが、勤め先の深堀村で原爆に遭ったため、被爆体験者です。自宅で被爆していたら被爆者と認められていました。 9日の朝、フクさんは爆心地付近の女学校に通っていた妹を「早く行きなさい」と送り出しました。妹は学校で被爆。翌日、父親たちが探し出し、船に乗せ、連れ帰る途中に亡くなってしまいました。 ●自ら責め続け 峰さんは、地元自治会長を42年間務め、また、「拡大協」の会長としてもこれまで力を尽くしてきました。 広島の「黒い雨」高裁判決を正面から受け止めず、広島と長崎の原爆被害者を分断する政府に対し、「黒い雨はこの深堀でも降っている。女性の着物が雨でぬれて黒いシミがついていたのを見た証人もいる。広島だけでなく、長崎も『同じ事情の下にあった』のに、切り捨てられるのは悔しい。広島同様に被爆者と認め救済してほしい」と語りました。 |
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