「しんぶん赤旗」2022/10/14 | |
南島原市北有馬町 随時掲載しているシリーズ「長崎にも『黒い雨』」。今回は、爆心地から37キロメートルに位置する南島原市北有馬町での2人の証言を紹介します。(加來恵子) 五島幸雄さん(86)は北有馬国民学校4年生でした。北有馬町は爆心地から南東37キロメートルに位置します。
夏休みで学校は休みで高江川にいました。 カタシの実(ツバキの実より小さい)からとった油カスを川に流すと魚が一時気を失うという方法で友人3人と魚とりをしていました。 近くにある願心寺の鐘が鳴るのが聞こえました。当時鐘は朝5時、11時、夕方5時の3回鳴っていました。 その11時の鐘が何回か鳴った時、あたりがピカッと光りました。「天気がよかとに何やろか」と五島さんは思いました。 数分たってからドーンという地鳴りを体に感じ、急いで自宅に戻りました。飛行機2機が湯島の方向へ飛んでいったのを覚えていると言います。 3時くらいでしょうか。西の方から原子雲が流れてきました。 太陽がまだ高い位置にあり、その太陽に原子雲がかかり、真っ赤な梅干しのような太陽に見えたと言います。 通常はぎらぎらする太陽ですが、「お日さまが泣いているようだ」と表現する人もいました。 その夜のラジオ放送では、広島に落とされた新型爆弾が長崎に落とされたことや、浦上川には多くの人々が水を求めていたことが紹介されました。 被爆の影響か、長崎方面から汽車で逃れてきた人の多くが3日ほど下痢が続き、その後亡くなったといいます。 西の方真っ赤 井村ヤス子さん(84)は北有馬国民学校1年生。夏休みで自宅にいました。麦干しをしているおとなの横で遊んでいた時、「ドーン」という大きな音がして、驚いた母親は、爆弾が近くに落とされたと思い、「早く中に入らんね」と言ったことを覚えています。 田んぼにいた人は、「きのこ雲がおりてきて恐ろしくて家に戻ってきた」と話しました。 夕方、西の方(長崎市方面)が真っ赤に燃えているのが見え、長崎市が近くに感じたといいます。 長崎から3日ほどかけて徒歩で帰った人もいたようですが、そのまま亡くなった人も数多くいたと聞いています。 |
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