「しんぶん赤旗」2022/8/29

うたごえ通じて核兵器廃絶願う
長崎・被爆者の合唱団「ひまわり」指揮者 寺井一通さん

 

平和式典で歌うことに涙流す団員も

 うたごえを通じて核兵器廃絶と戦争のない平和な世界を実現したい―。長崎で活動する世界でただ一つの被爆者だけの合唱団「ひまわり」のみなさんと、“産み、育ての親”の音楽家・寺井一通さんの願いです。(阿部活士) 

 寺井さんがうたごえと初めて接したのは、1969年でした。東京・代々木公園で開かれた米原子力空母エンタープライズ佐世保寄港反対集会に参加した際、「一坪たりとも渡すまい」のうたごえに衝撃を受けたといいます。この歌は、沖縄で米軍による土地取り上げに反対する闘争で歌われた反戦歌です。

“代弁者”として

 寺井さんは、79年「ながさき旅情」(ミノルフォンレコード)でメジャーデビューしましたが、長崎出身の歌い手として、反核・平和のメッセージを届けたいとの思いが強くなり、“長崎の被爆者の代弁者”として歌ってきました。被爆者運動の支援にも関わり、亡くなった山口仙二さんや谷口稜曄さんらと親交がありました。

 原爆症認定をめぐって松谷英子さんが起こした松谷訴訟を応援する歌など被爆者のための楽曲を数多くつくってきました。

 2004年に被爆者だけの合唱団「ひまわり」を結成した動機を次のように話します。

 「うたごえを通じて核兵器廃絶と世界の平和を訴えるなら、被爆者が実際に歌う方がより伝わるのではないか、と考えました」

 歌唱指導から指揮、楽曲の提供も手がけ、「ひまわり」のため作詞・作曲した楽曲は100曲にのぼります。

米・独などでも

 日本国内だけでなく、米国やドイツなど海外でコンサートも開き、歌で原爆の被害を訴えてきました。団員も多いときで50人以上いました。

 「ひまわり」は、例年、米国が長崎に原爆を投下した8月9日に行われる長崎市の平和式典で、寺井さんが作詞作曲した「もう二度と」を合唱してきました。

 ♪もう二度とつくらないで 私たち被爆者を この広い世界の人々の中に…♪

 「原爆で肉親らを亡くした被爆者にとって8月9日は命日です。平和記念像の前で歌うのは特別に大きな意味があります。指揮していて、涙を流している団員も多く見てきました」と寺井さん。

 しかし、高齢化による団員の減少にコロナ禍が重なり、この2年間式典で歌うことを辞退してきました。

 3年ぶりにレッスンを再開。ことしの式典を最後にしようと決め、9日に23人で「もう二度と」を歌い切りました。

  寺井さんは、「みんなに声が届いているのか不安でしたが、一生懸命に歌ってくれた。無事に終わってホッとしています」と感慨深げに話します。

被爆者歌う会・ひまわり会長 田崎禎子さん

人生狂わす戦争はノー 平和の歌 世代をこえて

 被爆者歌う会「ひまわり」の5代目会長の田崎禎子さん(81)も、「叔母たちが城山で被爆し亡くなったので式典で歌えば供養になる」と、2008年団員に加わりました。

 週一回、2時間のレッスンは、歌の練習だけではありません。

 

 「戦争と被爆のこと、戦後の歩みなど自分史を語り合う場でした。そこから学ぶことも多い。原爆のむごさや大変さを知るレッスンでした」と田崎さん。

 田崎さんには、叔父も父親も兵隊にとられて記憶にありません。 

 「父がフィリピンで戦死したという一枚の知らせ」がきたのは1945年6月。35歳の若さで、母親は28歳でした。

 その知らせから2カ月もしない8月9日に被爆。母が幼い田崎さんら三姉妹を連れて疎開していた長崎市愛宕の祖父母宅にいった時でした。

  「愛宕の町から浦上を見たら、火の海だったことを覚えています」 

 3人の子を育てるため母はその後再婚し、養父の手前、戦争も被爆のこともタブーで話しませんでした。

 母も養父も亡くなり、母の家を整理していた時、元気にしていた父の写真を見つけました。「母が大事にしまっていた父の写真は宝物です。父はどんなに家族のことを心配しながら亡くなったことか。原爆も、戦争したせいで落とされた。母や私たちの人生は戦争で狂わされました」

 

仲間の分も歌う

 新型コロナウイルスの感染を恐れて、この2年間歌うこともレッスンもなく、いきがいを奪われた田崎さん。支えてくれた夫も、コロナ禍満足な看病ができずに、一昨年12月に大腸がんで亡くなりました。病院が配慮してくれたリモートで「また、あした来るからね。食べてね」との言葉が最後でした。享年82歳。

 家にこもりながら母や妹、夫のため鶴を折り続けました。式典前日の8月8日、3000羽の折り鶴を平和公園に捧げました。「仲間のつらい別れもあり、その人たちの気持ちの分も歌に込めたい」と思って臨んだ最後の式典。無事に歌い終えてたくさんの拍手もうけました。 


侵略に心を痛め

 ロシアによるウクライナ侵略が泥沼化するなか、心を痛めていた音楽家の寺井一通さんは8月、「長崎から平和の歌」プロジェクト作品CDを完成させました。 

 「ひまわり」のみなさんと、核兵器廃絶の一万人署名活動の高校生が歌うもの。自身が作詞作曲する「LOVE SONG〜すべての悲しみの上に〜」と「明日こそきっと」の2曲を収録しました。

 ♪悲しい時代はもう 終わったはずなのに 故郷を奪われた 人たちの行く手には 何が待つと言うのか…(LOVE SONG)

 寺井さんは、CDに「長崎から平和の歌を贈ります この世界のすべての戦争、紛争がなくなる日まで わたしたちは世代を超えて歌い続けます」とのメッセージを添えました。田崎さんも「ロシアのウクライナ侵略で逃げまどう母子の映像も重なり、戦争ノーの思いを込めて歌いました」。

 今後、どうしていくのか。寺井さんは、いいます。「私も73歳になり、楽曲づくりも若いころと比べてペースが落ちています。戦争を知らない世代の後継者づくりが大事だと思います。被爆者も含めた、『ひまわり』とは違う新しい形をやっていきたい。もちろん、歌で核兵器も戦争もない世界をと訴えていく姿勢は変わりません」(阿部活士)

  「長崎から平和の歌」プロジェクト作品CDについての問い合わせは、寺井一通さん080(5214)4450まで。