当時3歳の私は、爆心地から3キロ離れた長崎市内で原爆の光と爆風を受けました。突然、フラッシュを何万個も放たれたような青白い光を浴び、爆風に襲われました。
そのため右の耳が聞こえにくく病弱で、学校でいじめられ、悔しい思いをしました。生活も貧しくその日食べるのにも事欠く日々でした。このような苦しみを今の若い人に体験してほしくないです。
核兵器禁止条約が発効し、被爆者にとって夢のような条約です。核なき世界に一歩近づけたと思います。しかし、日本政府は背を向けています。唯一の被爆国として署名・批准を求めていきます。
「たった一つのいのちだから」という言葉があります。両親からいのちを引き継いでこうして生きている。奇跡です。こんな大切ないのちを戦争なんかでなくすようなことがないように願います。
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