「しんぶん赤旗」2021/12/16

長崎被爆地域はもっと広い
長崎総合科学大学名誉教授 大矢正人さんに聞く

日米調査結果で明らか

 長崎に投下された原爆の放射線量について研究している原水爆禁止長崎県協議会の代表理事で長崎総合科学大学名誉教授の大矢正人さんに、長崎の被爆指定地域の不合理性について聞きました。(加來恵子)
 1945年8月9日に長崎に投下された原爆の残留放射線の数値を米軍マンハッタン調査団は、9月20日〜10月6日に長崎入りし長崎・島原半島を測定しました。
 同年、理化学研究所の仁科研グループが12月25日〜翌年1月22日にかけて同地域の残留放射線量を測定し、その結果を日本映画社が映像として記録しました。
 両方の測定で線量の地域分布はよく一致していますが、測定日に差があるため、線量率の時間変化の式を使って計算すると、マンハッタン調査団よりも理研の残留放射線の数値の方がほぼ2〜2・5倍大きいことがわかりました。
 これは計測器の違いによるものと考えています。
 8月9日、原爆爆発後の原子雲は、西風に乗って東に流され、放射線微粒子を含んだホコリやチリを運びました。理研の測定によると、爆心地から東方約8キロの長崎市矢上地区(被爆指定地域の外)での12月29日の放射線量率は自然放射線の14・7倍、1年間の被曝(ひばく)線量は73ミリシーベルトと推定されます。

島原で3倍超
 また、東方約48キロに位置する島原市での46年1月11日の放射線量率は自然放射線の3・3倍、1年間の推定被曝線量は14ミリシーベルトでした。
 国は、被爆地域を自治体で線引きし、旧長崎市内、隣接市外の一部の指定地域にいた人だけを被爆者とし、その地域外の人は、被爆地域の半径12キロの圏内であっても被爆者とは認めず、「被爆体験者」としました。
 理研やマンハッタン調査団の科学的データは、12キロ圏内はもとより、爆心地の東方12キロ圏外でも多量の放射性降下物があったことを示しており、科学的知見ではなく当時の行政区域で線引きした矛盾は明らかです。
 残留放射線は上空から降ってきた放射性降下物の痕跡です。滞留した放射性微粒子は呼吸によって、また水や作物を通じて体内に取り込まれます。地表に降り積もった放射性降下物による外部被曝しか認めないのは許されません。
 原爆症認定集団訴訟の医師団は、外部被曝、内部被曝を受けた状況があり、その後の発熱や下痢などの急性症状が認められる場合は、遠距離であれ、入市であれ相当線量の被曝があったものと当然考えられるとの意見書を2004年に出しています。

内部被曝認め

 広島高裁判決は内部被曝を認め、「原爆の放射能により健康被害が生ずることを否定することができないこと」を立証すれば足りるとし、幅広く認定すべきだとしました。
 日本は、被害者側が立証しなければならないことが多すぎます。本来は日本政府が被害者の立場に立ち、早期に解決すべきです。 被爆76年がたち、被爆体験者は高齢化しています。長崎の被爆体験者を切り捨てず、広島高裁判決のうえに立ち、広く被爆者認定を行うことを強く求めます。