「しんぶん赤旗」2021/2/28
長崎県大村入国管理センターでの実態
 外国人の入管施設での長期収容や難民申請認定率の極端な低さが国際的にも問題視され、国会でも入管法改定が焦点となる中、その実態を追いました。(長崎県・前川美穂)

 長崎県大村市の「大村入国管理センター」に収容されている外国人を支援する傾聴ボランティアのメンバーと日本共産党の永山真美市議らが定期的に行っている収容者との面会に同行(12日)しました。

 同施設では2019年6月、3年7カ月もの長期収容に抗議し、ハンガーストライキを行ったナイジェリア人の40代男性が餓死しました。

 案内された面会室は、広々とした玄関ホールとは違い、4人が入ると身動きが取れないほどの狭い部屋です。車イスで現れたスリランカ人のBさん(39)は18年に品川入管(東京)から大村へ移されてきました。収容所内でサッカーをしている時に膝を負傷。外部の病院でじん帯の4分の3が切れているとの診断を受けましたが、コロナ感染拡大を理由に手術が後回しになっています。

 「ケガをしてから4カ月たっても痛い。膝もぐらついているし、歩けなくなるのではないか」と不安な思いを語ります。「病院に行っても医者は付き添いの職員と話をするだけで、私には直接説明をしてくれない」といいます。収容者が外部の病院に移動する際には手錠をかけられるといい、「私たちを犯罪者と思っているのか」と悔しさをにじませました。

 入管当局は条件付きで一時的に解放する「仮放免」制度を設けています。昨年4月、大村入管から仮放免されたネパール人男性からも話を聞きました。

 男性(39)は、留学生として来日。留学ビザが切れ、帰国すれば迫害を受ける恐れがあるため、難民申請をしましたが認められず、約4年半収容されていました。

 「外の空気が吸えない。空も見えない。まるで囚われの身」。男性によると、施設の窓はすりガラスになっていて全く外の様子がわかりません。唯一の娯楽であるサッカー場は天井が覆われ、地面はコンクリートです。

 午後4時分になると自室に入れられ、電子ロックがかけられます。10時以降は電源も切られます。16年に起こった熊本地震の時には、暗闇の中収容者も大パニックになりました。被災地に家族がいる友人が、安否確認をさせてほしいと求めましたが、許可されませんでした。

 入管から一時的に出られても就労は禁じられています。国民健康保険には加入できず、医療費は全額自己負担です。県外への移動も禁止され、多くが支援者に頼っての生活です。「いつまで人に助けてもらってご飯を食べるのかと考えると情けない。今のままだと私は腐っていくのではないか。この思いを日本の政府にわかってほしい」と男性は涙を浮かべ語りました。

 男性の再度の難民申請は却下されました。仮放免された外国人は、定期的に入管に出頭し、延長手続きをしなければなりません。その際、不許可となれば理由も告げられず、着の身着のまま、即刻収容されます。いつ収容されるかわからない不安な日々が続きます。

 男性はせつせつと訴えました。「日本は世界で一番人権が守られている国だと思っていた。しかし、ここでは自分たちに人権はない。外国人であろうが人間。日本の皆さんに少しでも入管制度の実態がどんなものなのか知ってほしい」