「しんぶん赤旗」2021/7/7
県原水協が「『被爆体験者』が語る平和運動」を開催
 長崎県原水協は3日、「被爆体験者」で日本共産党の元長崎市議の山本誠一さん(85)を迎え、「『被爆体験者』が語る平和運動」と題した学習会を開きました。

 山本さんは「今年、核兵器禁止条約が発効したことに心から感謝する」と述べ、被爆年の年に当時の伊藤一長市長が取り寄せた「米国戦略爆撃調査団報告書」の巻頭言について言及しました。

 この中で広島・長崎に入った米国の爆撃調査団が「こんな惨状は見たことがない。原爆を投下した国の責任において核兵器は二度と使わないようにするべきだ」と指摘していたことを紹介。「米国自身の条約参加と、日本政府の参加を強く押し出したい」と語りました。

 8月9日の原爆投下の時は、友人と米軍機グラマンに投石する石を集めていて、爆音とともに吹き飛ばされたといいます。茂木地域には、負傷した人がトラックでどんどん運ばれ、亡くなった被爆者の遺体は、立岩海岸で荼毘(だび)に付されました。

 わずか歳で、遺体を荼毘に付す仕事を依頼された少年の話を紹介。マッチが1本しかないなか、海岸に流れ着いた流木と笹の葉で遺体を焼いたが、ほとんどの骨は半焼けで、念仏を唱えながら石で割ってムシロ袋に入れたといいます。

 1975年に日本共産党の長崎市議に初当選。1967年から3期務めた諸谷義武市長(自民党)は、平和行政に力を入れ、原水協や被爆者団体からの「核保有国軍艦の長崎入港に反対を」との求めに応じ、記者会見で反対を表明しました。山本さんたちが市民の声を届けるなか、市長が市民の願いを正面から受け止め、要求が実現していったと話しました。