「しんぶん赤旗」2021/9/9
被爆者と認めて 長崎被爆体験者らの思い
 長崎の原爆投下により被爆したにもかかわらず、被爆地域の区別から被爆者と認められず、「被爆体験者」とされた人たちがいます。広島の「黒い雨」訴訟の広島高裁判決をうけ、菅義偉首相が談話で「同様の事情の方についても救済を検討する」と発言したことから、長崎でも「被爆者と認めてほしい」との声が高まっています。シリーズで追います。
 1945年8月9日、11時02分に長崎に原爆が投下され約7万人の命が奪われました。その後、54年、アメリカが行ったビキニ環礁での水爆実験による被害「ビキニ事件」を機に立ち上がった被爆者と国民の核兵器廃絶運動に後押しされて57年に「原爆医療法」が制定されました。それまでの12年余、被爆者は放置されてきました。

報告書を提出
 74年、76年と被爆者健康手帳を交付する範囲が拡大されましたが、国が定めた長崎原爆地域は、長崎市と隣接する一部地域(東西約5〜7キロメートル、南北12キロメートル)に限定。
 長崎県と市は「生きているうちに被爆者と認めてほしい」との被爆未指定地域住民の声に応え、99年から2000年にかけて住民調査を実施し、その報告書を国に提出しました。
 報告書では、被爆直後に下痢や脱毛、紫斑等を訴えた住民が4割にものぼる原爆放射性降下物による内部被ばくの実態を明らかにしました。
 この結果を受け、国は「検討会」を設置し、01年8月の最終報告では、「原爆投下に起因する不安がトラウマとなり、精神上の健康に悪影響を与え、身体的な健康度の悪化につながっている可能性が高い」としながら、その原因は「原爆放射線による直接的な影響ではない」と断定し、爆心地12キロ内の被爆未指定地域を被爆地域と認めず、新たに「第2種健康診断特例区域」に指定しました。
 02年に国は被爆体験援護制度=第二種健康診断受診者証(被爆体験者精神医療受給者証)の基準を制定しますが、被爆者援護法に基づくものではなく、調査・研究事業として予算化し、県・市に委託しました。

 

繰り返し要請

 被爆体験支援事業は、原爆体験による精神疾患が認められる場合のみ、ガンを除く疾患・症状を対象とした医療費を免除するもので、「被爆体験者精神医療受給者証」は長崎県内でしか使用できません。また、3カ月に一度は精神科に通わなければ治癒と見なされ、「医療受給者証」は無効となります。
 「被爆体験者」事業の問題点について、長崎被爆地域拡大協議会事務局長の山本誠一さん(元日本共産党長崎市議)は、01年に「連絡会」を立ち上げ、被爆地域拡大の運動を進めてきました。長崎民医連と連携して健康相談調査を行ったり、被爆地域拡大にむけた市民と研究者による意見交換会を開催し、それらの研究成果を県、市、国に要請。「被爆体験者を被爆者と認めるよう」繰り返し要請してきました。
 山本さんは言います。
 「広島の『黒い雨』訴訟の高裁判決は、国が否定し続けてきた原爆放射性降下物による住民の内部被爆を認めた画期的判決です。国は“長崎被爆体験者”に被爆者健康手帳を交付することは当然のことです。しかし、菅首相は8月9日、“同じ事情にあった被爆体験者”について発言を避け、裁判を見守るとしました。唯一の戦争被爆国の首相として許されません。世界は、核兵器禁止条約を手に核なき世界へと歩み始めました。条約には、被爆者援護や環境回復についても明記されています。被爆体験者にはわずかしか時間が残されていません。速やかに被爆者と認め、核兵器のない世界に向けて、禁止条約も批准するべきです」(随時掲載)