「しんぶん赤旗」2021/9/14
被爆者と認めて 長崎被爆体験者らの思い がん患っても対象外
 柴原みどりさん(87)は、爆心地から10・1キロメートルの西彼杵郡香焼村(現在の香焼町)の親戚の家に大阪の家族と離れて縁故疎開していました。


吹き飛ばされ
 当時国民学校6年生でした。8月9日は登校日で、学校に行き、同級生たちと山に入り、飛行機の燃料になる松ヤニを集め、学校に戻ってきた時、ピカッと光ったのです。
 トイレに行こうとしていた柴原さんは、目と耳をふさいでふせた瞬間に吹き飛ばされましたが、大きなケガはなく叔母の家に戻りました。
 その後、おなかが痛くなり、出血(血便)もあり、叔母が「寝とかんばいかん」といって学校を休み、病院にも連れていってもらうと「大腸カタル」だと診断され12月いっぱい学校を休みました。
 3学期になり学校に行き始めました。髪が抜け、卒業するころには産毛が生え始めました。
慢性消化性潰瘍やメニエール症候群などを発症しています。
 
 2000年に長崎県と市が被爆地域拡大の調査を開始し、02年に「被爆体験者精神医療受給者証」を交付しました。
 柴原さんは「私は精神疾患ではありません。被爆者だと認めてほしい」と語ります。

 

半世紀後発症
 津村はるみさん(76)は爆心地から約8キロメートルの同じ香焼村の祖母の家に寝かされていました。生後19日の時です。
 「11時2分、地響きと振動で、布団と一緒に飛ばされたとよ」と母親のミヨ子さんがいつも語っていたと言います。
 香焼地区の瓦は飛ばされ、長崎市の方の空は真っ赤に染まっていました。
 母親のミヨ子さんは、乳がん、子宮がんを患い、原爆との因果関係を気にし、「あなたもいつかがんになるかも」と気にしていたと言います。
 半世紀たち、津村さんは50歳の時に甲状腺がんを患い甲状腺を全摘し、現在も薬が欠かせません。「被爆体験者精神医療受給者証」を取得していますが、がんは疾病の対象外とされていることと、薬の処方についても対象から外されています。
 「今回のことで、“長崎被爆体験者も被爆者と認めてもらえるかも”と被爆体験者の中に期待が広がっています。広島の“黒い雨”被害者と私たちは同じです。行政区域により区別され、“被爆体験者”と区別され被爆者と認められないのはおかしい」と憤ります。
 「長崎への原爆投下で当時7万人が亡くなったとされています。被爆国日本が核兵器禁止条約を拒むのはおかしい。被爆の実相を世界に知らせ、核兵器廃絶を迫ることこそが日本の役割です。選挙で政権交代させて実現したいですね」と語りました。(随時掲載)