「しんぶん赤旗」2020/12/11
新婦人長崎支部、戦争を語り継ぐつどい
 新日本婦人の会長崎支部は、太平洋戦争開戦の日の8日、「戦争を語り継ぐつどい」を長崎市内で開き、同支部会員の久野紀子さん(80)が戦時中の体験を語りました。27人が参加しました。

 久野さんの父親は、開戦後すぐに召集され、まだ新婚でしたが中国・南京に出征しました。収入がなくなり、母親は幼かった久野さんを連れ、香焼島(当時)の造船所の独身寮で寮母の仕事に就きますが、1944年に過労で亡くなります。「母は1日中働いて、私には寮生が残したみそ汁などを食べさせ、自分はろくに食べていなかった」とつらい記憶を語りました。

 母方の祖母の下で育った久野さんは「物資もなく大変な時代だった。お腹が空いて、空いて、あの空腹感は忘れられない。母方の親戚は母も含め9人も亡くなってしまった」と話しました。

 参加者からも体験が紹介されました。吉田ハルノさん(82)は、福岡市の空襲で、母と2人必死で逃げた時の様子を語り、「父親は沖縄戦で亡くなった。今、戦争の足音が聞こえてくるよう。子や孫に二度とあんな思いはさせられない」と述べました。

 これに先立ち、県母親大会連絡会は、長崎市の繁華街で戦時中の召集令状を模した「赤紙」400枚を配布。「東京大空襲に遭った」という女性や高校生が受け取っていきました。