どんな理由であれ原爆を正当化できない
■核使用容認
一九四五年八月、一瞬のうちに広島、長崎の街を焼き尽くし、二十数万人の命を奪ったアメリカによる原爆投下。その後も被爆者の命と心、暮らしを脅かし続けてきました。「この世の地獄」ともいわれた悲惨な状況を目の当たりにして、日本国民は「原爆許すまじ」の思いを広げてきました。そして、広島、長崎を繰り返すな、人類のうえに二度と残虐な大量破壊兵器の使用を許さないという核兵器廃絶への願いとして結実してきました。
久間章生防衛相が「『あれで戦争が終わったんだ』という頭の整理で今しょうがないなと思っている」と発言したことは、この被爆国としての決意と核兵器廃絶への願いを二重三重に踏みにじる許しがたい暴言です。
久間発言のように「戦争を終わらせる」ためなら、原爆投下もしょうがないとするとしたら、なにか理由がありさえすれば大量破壊兵器の使用も許されるということにつながりかねません。
■国際法違反
しかし、一九四六年の国連総会第一号決議が「原子兵器の各国の軍備からの廃絶」を誓ったように、女性や子どもなど非戦闘員を無差別に殺戮(さつりく)した原爆投下は世界に衝撃を与え、大量破壊兵器の使用は許されないとの世論をつくってきました。一九九六年には国際司法裁判所(ハーグ)が「核兵器の威嚇または使用は、一般的に、武力紛争に適用される国際法、とりわけ人道の原則および規則に反する」として、核兵器使用を国際法違反との原則を示しました。
国際司法裁判所の意見では“一つの例外”として、「国家の存亡が危険にさらされている自衛の極端な状況」をあげましたが、アメリカによる日本への原爆投下がこの「例外」にもあたらないことは明白です。一九六三年の東京地裁判決が明確にのべているように、広島、長崎の原爆投下は「無防備都市に対する無差別爆撃として、当時の国際法からみて、違法な戦闘行為」であり、「戦争に際して不必要な苦痛を与える非人道的なものは、害敵手段として禁止される、という国際法上の原則にも違反する」のです。
久間氏は、アメリカが原爆投下した理由について「ソ連も出てくる可能性がある。ソ連とベルリンを分けたみたいになりかねない、ということから、日本が負けると分かっているのに、原爆を広島と長崎に落とした」などとものべ、「選択としてありうる」と理解を示しました。
アメリカ政府が当時から展開してきた正当化論―「原爆を保有し、その威力を示すことによって、ヨーロッパにおいてソ連を御しやすくする」(バーンズ国務長官)などと同列です。
しかし、どんな正当化論を出そうとも、原爆投下が許されないことは、広島、長崎の惨状がなによりも雄弁に物語っています。原爆投下時の米統合参謀本部議長で大統領首席補佐官だったレイヒ海軍大将でさえ「われわれは暗黒時代の野蛮人並みの倫理基準を選んだことになる」と、のちにのべたほどです。
■擁護の首相
それをもっとも承知し、発信していなければならない日本の政治家が正当化論に理解を示すなどということは、絶対に許されないことであり、「陳謝」ではすまされません。
「アメリカの考え方を紹介した」と擁護した安倍晋三首相の責任も重大です。
核兵器廃絶の長年にわたる運動の結果、核保有国でさえ「核廃絶の明確な約束」をせざるを得ない状況までもってきました。そのときに、原爆投下を「しょうがない」などと発言する政治家に被爆国日本の閣僚の資格はありません。(藤田健)
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