2006年5月13日(土)「しんぶん赤旗」

原爆症認定 全員が勝訴

被爆者救済拡大に道

大阪地裁 国基準・審査を批判

集団訴訟初判断


被爆による病気を原爆症と認めないのは不当として、国に原爆症認定却下処分の取り消しと損害賠償をもとめ全国十三地裁であらそわれている集団訴訟の最初の判決が十二日、大阪地裁で出されました。西川知一郎裁判長は「国の認定基準は一つの考慮要素にすぎず、被爆者の疾病内容、生活状況などを総合的に考慮して判断すべきだ」として、原告九人全員の認定却下処分を取り消しました。原告と地裁前に集まった百人以上の支援者は「よかった」と涙し手を取り合って喜び合いました。

 勝利した原告の中には、これまで国の基準で切り捨てられてきた三・三キロの遠距離被爆者や入市被爆者(原爆投下後市内に入った人)も含まれています。

 判決は、国の認定基準が爆心地から一・三―一・五キロ以遠の被ばく放射線量を過小評価しているなどとし、この基準を被爆者に機械的に当てはめる審査を批判。呼吸や飲食などで体内にとり込んだ放射性物質による内部被ばくが障害を引き起こす可能性も指摘しています。

 原爆症認定訴訟近畿弁護団は、国の認定基準の機械的適用を批判した今回の判決を画期的とし「厚生労働大臣は判決を厳粛に受け止め、控訴することなく、直ちに認定制度の抜本的改革を図るべきだ」とする声明を出しました。

 日本共産党被爆者問題対策委員会の小池晃責任者は同日、政府に対し原爆症認定の抜本的改善に速やかに着手するよう求めるとの談話を発表しました。


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大阪地裁 国に基準見直し求める


 「生きてきてよかった」。広島、長崎の被爆から六十一年、がんなどに苦しむ被爆者たちの顔がほころびました。原爆症集団訴訟で初の判決となった大阪地裁法廷。国の原爆症認定の誤りを認め、全員勝訴の判決を言い渡しました。原爆で失った家族や友、それに連なる人々の意志をひきつぎ、「再び被爆者をつくってはならない」との思いが通じたのです。


被爆者励ます

 判決は、放射線が人体に与える影響について、「詳細が科学的に解明されているとは言い難い」もとで国が現在おこなっている審査は、「機械的」だとして、批判する画期的な内容となりました。

 厚生労働省は、この判決を真摯(しんし)に受けとめ、原爆症認定基準を抜本的に改め、被爆者を救済することが求められています。

 厚労省は、原爆が爆発した瞬間の放射線量を爆心地からの距離に応じて推計、当時の年齢や既往歴などを検討し、疾病が引き起こされた可能性を示す「原因確率」を導き出し、それにもとづいて認定かどうかを機械的に振り分けてきました。

 そのため、爆心地から二キロ以上の遠距離被爆者や、原爆投下後に広島、長崎に入って被ばくした入市被爆者は最初から対象外とされました。

 判決では、厚労省の物差しは、「一つの考慮要素」にすぎないとし、被爆後の行動経過や健康状況なども検討し、判断するよう求めました。

 遠距離被爆者や入市被爆者に対しても、放射性降下物による被ばくや、呼吸・飲食を通じての内部被ばくの可能性も念頭におくべきだと指摘。原告となった遠距離被爆者や入市被爆者について認定すべきだとする初めての判断を示しました。

 日本被団協は、(1)原爆放射線による身体への影響が推定できる事実が認められる(2)原爆放射線の影響が否定できない疾病・障害があり、医療が必要な場合―は原爆症と認定するよう求めています。今回の判決は、こうした被爆者が求めている原爆症認定の運動に大きな激励を与えるものです。

 長崎の松谷英子さん、京都の小西建夫さん、東京の東数男さんの裁判に続き、集団訴訟の初めての判決でも、厚労省の認定のあり方が否定されたのです。被爆者は現在の集団訴訟に続き、第二次の集団申請・訴訟運動もすすめています。

 判決後、勝訴した原告たちは、「原爆の恐ろしさを知ってほしい」と訴えました。日本政府が被爆者援護をすすめない背景には、原爆の被害をできるだけ小さく見せようとする政府の核政策があります。国は核兵器の被害に真正面から向き合い、すべての被爆者の救済にあたるべきです。(内野健太郎)