【合併2年 対馬市で今  上】
談合政治に将来なし
 初の百条委員会

 東シナ海に浮かぶ南北八十二`、東西十八`の島・長崎県対馬。全国に先駆け、県の強引な介入で島内の旧六町が合併、新市・対馬市となって二年。相次ぐ談合発覚は何を示しているのか、過疎化に拍車がかかり、様変わりする現地を取材しました。
(田中康)

   

次々に発覚
 発覚した談合事件とは、合併直後の二〇〇四年八月に実施された「ごみ中継施設建設工事」の入札と、〇五年九月の「漁港工事(二十一件)」に関する一連の入札での官製談合などです。
 「ごみ中継施設」談合では、市幹部や市議、建設業者など六人が逮捕・起訴されました。「漁港工事」談合では、落札価格と最低制限価格がぴったり一致(三件)するなど、不可解な落札結果が大問題になりました。この二つの官製談合事件に直接、深くかかわっていたのが、同市の廣田貞勝助役(63)‖逮捕・起訴ずみ‖です。
 
 廣田助役は同市の指名審査委員長を兼ねた、建設工事入札の責任者でした。合併前は旧上県(かみあがた)町の町長。「町の人事まで業者いいなり」(元同町職員)といわれるほど特定建設業者との癒着が深い人物で、合併後の市長選で支援した現松村良幸市長の助役選任を受けました。
 談合が常態化し、落札の見込みのない建設業者は、入札参加をやめるわけにもいかず「請負価格を積算するのがいやになる」「入札に行きたくない」と嘆きを口にしていました。
 皮肉にも「対馬市」となったことで官製談合が発覚する事態に。漁港工事談合では、「奇跡が三回起きたほどの珍事」と追及した日本共産党の武本哲勇市議の質問がきっかけで百条調査委員会がつくられ、「最低制限価格が漏れた疑いがある」との結論が出て告発されました。いま司直の手で捜査中です。
 「談合政治に将来はない」との危機感が、バラバラだった市会議員を結束させました。対馬の議会史上初めての百条調査委員会です。ある古参議員は、「市議になって本当に勉強させられた」と自省ぎみに語りました。(写真は談合が問題なったゴミ中継施設)

 公共工事に依存せざるを得ない実態が覆う離島。談合の構図を黙ってみてきた島民は、「上県方式と言われた官製談合が、合併で対馬市全体に広がった」と怒ります。市長の出身地・美津島町では、「恥ずかしいことですよ。別のことで有名になってほしい」という声も聞きました。
 なぜこんなに談合がまかり通るのか。「水産業や林業が盛んだった二十数年前まではこれ程ではなかった|」という武本市議。「第一次産業の育成を軽視してきた長年の自民党政治が、水産などの地元産業を衰退させ公共工事に依存する建設業者を増やした。不況とともに談合の土壌がつくられた」といいます。

市長の責任は重い
 「このさい徹底して膿みをだしてほしい」「市長の責任は重い」|市民の圧倒的な声です。
 「特定業者が支配する市政からの脱却が始まった」(武本市議)とはいえ、市民に痛みを押し付ける国・県いいなりの市政が変わり始めたわけではありません。議会活性化の動きを、「住民の声を生かした市民本位の市政」につなぐためには、世論をいっそう高める運動、点在する地域住民の声と共同を全市的にまとめることが大きな課題となっています。
(つづく)

「しんぶん赤旗」2006/4/4

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