栄子のちょっとエッセイ

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2007年7月31日(火)
ご支援、本当にありがとうございました

結果が出て記者会見
 参議院選挙でのご支援に心から感謝します。

 比例5議席と長崎県で5万5千票を実現できなかったのは、本当に残念でした。しかし、多くのみなさんの声援に支えられて、17日間の選挙を力いっぱい頑張りぬくことができました。そして、日本共産党の政策に多くのみなさんが共感を持っていただいたと、実感できた選挙でした。

  
 議席を得ることはできなくとも、日本共産党員の一人として、被爆地長崎の県民の一人として、選挙中に心から訴えた「格差と貧困をただし、憲法9条を守り抜く」の公約実現のために、引き続き力をつくしていきます。


 党国会議員団長崎県事務所長として、県民のみなさんの声を国政に届ける仕事は、明日から3年目に入ります。
 これからも、よろしくお願いします。
2007年7月11日(水)
みなさんの思いを心いっぱい、身体いっぱい受けとめて

いざ本番へ。頑張ります。
 いよいよ、明日が公示日となりました。汗と雨に濡れることを考えて、着替えを鞄に詰めています。
 今、準備をしている私には、声を聞かせていただいた方々のお顔が、次から次に浮かんできます。
 「年金を頼りに暮らしている年寄りには、早く死ねと言わんばかりだ」、「ハンディを乗り越えながら生きてきたのに、障害者自立支援法は夢さえも奪ってしまう」、「諌早干拓によって漁は激減し、貯金も使い果たし保険も解約してしまった。このままなら…・」、「母子家庭で収入は増えていないのに、住民税増税の影響で、高校の授業料免除が受けられなくなった」、「お金の心配をしながら診察に来る患者さんが増えました」、「お客さんには笑顔で商売しているが、いつまで店を続けられるか心配」、「農業を継いでくれとは、とても言えない」、「地方・離島が切り捨てられている」、「市町村合併で良かったことは何もない」、「時給900円では結婚も子育ても出来ません」、「久間発言は絶対に許されない」などなど…。
 みなさんの声と思いを、心いっぱい体いっぱいに受けとめ、17日間の選挙戦を頑張りぬきます。応援してくださいね。 
2007年7月10日(火)
自分の思いをまっすぐ届けた5分30秒

収録中です
 9日に政見放送の収録をなんとか無事に済ませることができ、ホットしています。政見放送は、放送局のスタジオから、テレビカメラの向うにおられる視聴者のみなさんに、政策を語らせていただくというものです。
 「5分30秒」と、決められた時間枠の中で、リハーサル1回、本番1回で収録します。初めての経験で、かなり緊張しましたが、「5分30秒」に自分の思いをまっすぐに伝えたいと心を込めました。
 スタジオ入りする前にメイクをして下さったり、残りの時間を表示して下さったりと、放送局のスタッフのみなさんに大変お世話になりました。
 日頃は、茶の間にいてテレビを見ている側ですが、視聴者に語ることの難しさにふれた思いです。
2007年7月7日(土)
「戦争ほうき」を胸元につけて
 「胸元につけているものは何ですか?」と、声をかけられました。「戦争ほうき」です。
 「地球から戦争がなくなりますように…と願いを込めて戦争ほうき(放棄)を作りました」と、支援者の方からいただいたものです。

 発案者は、東京都の入江篤子さんという方だそうです。「日本国憲法が改正されようとする今、もう一度、この平和憲法を見つめることが求められているように思います。平和のバトンを、あなたから知人へ、子どもたちに手渡してください」と、言葉が添えられていました。
 参議院選挙は、憲法9条を守れるかどうかも大事な争点になっています。「守りたい」の思いで胸元につけさせてもらっています。 
2007年7月4日(水)
暴言の大臣が辞めたですむ問題ではありません

浦上天主堂前で
 昨年参加した平和祈念式典で、目の前で聞いた被爆者・中村キクヨさんの話しに、涙がとまりませんでした。こんなにまで核兵器はむごいのか、今でもこんなに被爆者を苦しめ続けているのか…と改めて思い知ったのです。
 久間大臣の「しょうがない」発言を聞き、真っ先に思い出したのが中村さんのことでした。私は怒りに震えました。久間大臣も私のすぐそばで、彼女の話しを直に聞いたはずなのに、被爆者の苦しみが全く分かっていなかったのです。
 暴言の翌日、爆心地近くの浦上天主堂前でマイクをにぎり、「被爆者の気持ちを踏みにじるような人は大臣の資格はありません。ただちに辞任を」と訴えましたが、犠牲になった人々と被爆者のことが頭に浮かび、胸が詰まる思いでした。
 まともな反省もなく、久間大臣は辞任しました。しかし、彼と、その所属する政党、内閣の責任は消えることはありません。私は、選挙の中でもこの問題を訴えることにしたいと思います。中村さんたちのために、せめて私にできることだと考えるからです。 
2007年6月29日(金)
二人の母に支えられて

青年キャラバンで
 いよいよ、投票日まで1ケ月となった参議院選挙。二人の母から同じ日に励ましが届きました。今年87歳になる義母からは、メールで「栄子さん大丈夫ですか?体に気をつけてがんばって」と、ありました。両耳とも聞こえなくなり入院治療しましたが、補聴器をつけても聞き取り難い状態は続いています。
 大瀬戸町には専門病院がなく、歩いていける場所に病院がある義妹の所で、今は暮らしています。同居してきたほぼ20年間、私の子育て・候補者活動・町議活動を支え続けてくれました。
 75歳になる実母からは、手紙で「新聞を読むたびに目を疑うようなことばかり。年金・食の問題など何をしているのでしょうか。暑い中だけど体に気をつけてがんばってほしい」と、ありました。
 最初は私の活動に反対だった二人の母ですが、
嫁の私を、娘の私を支え励まし続けてくれています。二人の母に、あらためて感謝したことでした。
2007年6月25日(月)
地元・大瀬戸の漁協女性部の仲間も聞きに来てくれた演説会

参加者で埋まった演説会
 当初の予定でいけば参議院選挙の投票日1ヶ月前となる、6月22日に開いた日本共産党演説会に、会場いっぱいに1000人もの方々に集まっていただきました。
 長崎に住んで23年、人生のほぼ半分を長崎で暮らしてきましたが、選挙区予定候補者として私は、改めて感慨深い思いを抱いています。
 私の産まれ育った北九州市小倉は、長崎街道としてつながっており、地元西海市松島の踊りが、小倉から伝わったものであるという説もあるほどです。
 そして、長崎に絶えがたい惨状を及ぼした原爆は、小倉に投下する予定が当日の天候によって変更されたと知った学生の頃から意識をしてきました。21歳の時に、長崎を訪れ原爆資料館に足を踏み入れた時に、あまりの衝撃に鳥肌がたったことを今でも忘れません。
 そんな私が、縁があって長崎の大瀬戸町に住むようになり、環境の違いにとまどうことも多くありました。漁協女性部の仲間に入り、この5月まで一緒に役員を務めていたみなさんが揃って、演説会に来ていただき感激しました。お見送りするとき私を抱きしめて激励してくれ、思わず涙しました。  いただいた声援を力に頑張りぬきます。
2007年6月19日(火)
「如己堂」で、永井隆博士にそっと誓ったこと

如己堂の前で
  17日、長崎県母親大会に参加し、弁護士の平山知子さんの講演をお聞きました。心打つ話で、何度も涙しました。中でも永井隆博士の「いとし子よ」という著書の引用は、強く心に響きました。
 当時は今の憲法が誕生して間もない時でした。博士は憲法9条の重要さを強調した後、情勢によっては日本人の中から9条を変えよという声が出るかもしれない。その時は、「戦争絶対反対」を最後まで叫び続けるよう、二人の子どもに諭しているのです。
 今の情勢を見通して、私たちにどういう立場でたたかうべきかを、永井博士が教えてくれたような気がしました。

 講演を聞いたあと私は、永井記念館と博士が過ごした「如己堂」に立ち寄りました。そして、「永井博士。あなたの9条への思い、私たちが確かに引き継いでいきます」と、そっと、そしてしっかり誓いました。
2007年6月11日(月)
いただいた激励力に、日本共産党の値打ち語り尽くしたい
事務所びらきで
 参議院比例とふちせ栄子の事務所開きが、投票日まで44日となった6月8日に行われ、かけつけて下さったみなさんに力強い励ましをいただきました。
 参議院予定候補者としての活動は、埋め立てられた広大な土地を、春名なおあき比例候補と、改めて視察することから始まりました。
 私は、人口8,000人、有権者6,600人余りの小さな町・旧大瀬戸町での議員としての経験しかありません。その私が、国政への挑戦を決意したのは、諫早湾干拓事業によって、宝の海が奪われ、生活の糧を得ることの出来なくなった漁業者が、自らの命を絶つという事態にまでなっていたからです。
 私たちが、一生懸命働いて納めた税金が、ムダで有害な諫早湾干拓事業につぎ込まれて、漁業者の命を奪っている政治を何としても変えたいと思ったからです。
 初めて国政に挑戦した2005年の総選挙で、「庶民への大増税は許さない。憲法改悪は許さない。その力となる確かな野党として日本共産党を伸ばしてほしい。」と、訴えた公約を守りたい。そして、「失いたくない命・希望・憲法9条」を胸に、「いまこそ必要です。確かな野党・日本共産党」を語りつくします。
2007年6月4日(月)
新幹線だとなぜ客が増えるか、根拠を示せなかった国土交通省

春名さんも一緒に政府交渉
 行政側から、「数字が一人歩きしては困りますから」という理由で、データを明かにしてもらえないことがよくあります。

 ところが、長崎新幹線は、「博多と長崎間を28分、時間短縮ができる。」「1日あたり6,800人の利用者が増える。」と、宣伝されています。

 中田前県議が、その数字の根拠を質問しても長崎県は、「国が公表した資料では明確にされておらず、県としては答える立場にない。」の返答でした。
 5月29日に上京して、国土交通省に直接、説明を求めたところ、「新幹線の具体的運用は決まっていない。」と、根拠を示せず、回答を保留しました。この数字が一人歩きさせられている数字であることが、明かになりました。

 また、沿線自治体が同意をしない限り、長崎本線の経営分離を行わないことを求めた要請に対しては、「我々も同じ認識を今でも堅持している。」と、こちらは、はっきり回答しました。

 大きな成果を持って帰ることのできた今回の政府交渉でした。