|
長崎県における非核宣言自治体運動の取り組みについて
非核の政府を求める長崎県民の会事務局長 川口 龍也
こんばんは。私は、非核の政府を求める長崎県民の会の川口です。国際的にも著名なジャックリーン・カバッソーさん、田中煕己さんとともに報告する機会を与えていただき大変光栄に思っています。ありがとうございました。
非核長崎県民の会が取り組んできました、非核自治体宣言と「核兵器全面禁止・廃絶国際条約の締結を求める」意見書の2点について報告します。
「非核の会」のなりたち
私たちの会は、1987年7月25日に結成され、今年で19年目になります。当時は、米ソを中心とする核軍拡競争によって、世界には7万発もの核弾頭が配備され、核戦争防止と核兵器廃絶は、緊急な全人類的な課題となりました。この事態を憂える声が急速に高まり、日本では非核都市宣言自治体や「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」署名の広がりなど非核平和の世論が大きく発展してきました。他方、当時の中曽根内閣は「日本列島不沈空母化」をうたうとともに、「『非核都市宣言』は日本の平和に有害です」などと核兵器廃絶に真っ向から敵対する態度をあらわにし、日本政府と国民の非核平和の願いとのギャップはいよいよ埋めがたいものとなりました。
長崎県では、具島兼三郎、渡邉千恵子、鎌田定夫さんなど146人の広範な各階各層の人々と団体によって呼びかけられ、会は結成されました。会の目標は日本政府の核兵器政策に反対し、国民世論を高め、「非核5項目」―@核戦争防止、核兵器廃絶の実現A非核三原則の厳守B日本の核戦場化への阻止C国家補償による被爆者援護法制定D原水爆禁止世界大会のこれまでの合意にもとづく国際連帯の強化―という、「非核5項目」を実行する「非核の政府」の実現をめざすことにあります。
まず、非核宣言についてですが、被爆県の会として、「非核5項目」の実現、とりわけ非核自治体運動は、「非核の政府」をつくる基礎づくりである、との考えで地道でありましたが、系統的に一貫して取り組んできました。
全自治体の非核宣言に16年
当時は、非核宣言をした自治体は80のうち、香焼、伊王島、高島、東彼杵、波佐見、小浜、西有家、厳原のわずかに8町しかなく、全国から大きく立ち遅れた状態で、とても恥ずかしい思いでいっぱいでした。 なんとしてでも全自治体非核宣言をとの意気込みで、県はじめ、市町村、県町村長会、郡町村長会を会の役員のみなさんが組をつくり駆け巡り、市町村長・議会議長に直接面会して、要請・陳情を繰り返してきました。役場に行っても「非核の会とは何と比較(比べる)するのですか」と言われる程度で知名度は全くありませんでした。
2回も3回も訪問するなかで、「住民の命を守るのは自治体の仕事だ」。五島の郡町長会では、「自分は自民党であるが、(革新政党)がやっていても正しいことは正しい」などと非核宣言に理解を示すように変わりました。やはり、長崎県でも自民党からの通達が、非核宣言がすすまない、ひとつの大きな要因になっていたのだなと感じました。
インド・パキスタンの核実験、被爆50周年、「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」署名の県民人口過半数達成、大村市での請願署名、知事・報道機関の援助等を背景にして、1999年3月、最後に残っていた対馬・美津島町議会が決議したために、ようやく全自治体の非核宣言が実現しました。宣言第1号の小浜町から16年目、全国で15番目の達成でした。
これは、被爆50周年の1995年12月29日に、「アピール」署名の県民人口過半数を突破した快挙と同様、長崎県の非核平和運動の歴史に残る快挙であると思います。
長崎県の自治体合併で新たな努力が必要に
その後、長崎県でも2004年3月1日以降、「平成の大合併」実施により、新たに9市1町が誕生し、全体で24自治体に激減しました。減少率は愛媛に次いで、全国2番目で異例なスピードでした。そのため、旧宣言が失効する事態になり、100%から大きく後退しました。
私たちは、「非核平和行政の空白・後退は一時たりとも許さない」という固い決意のもと、合併前から新「宣言」要請活動を行い、新市町長及び議会議長・事務局長に面会してきました。この中では、旧ソ連の苦しかった抑留生活を初めて語ってくれた人もいました。イラク派兵を危惧し、平和の大切さを強調する人もいました。「幼い時、空襲で防空壕に避難した時、泣く声が外に聞こえるのを恐れて、口をふさぐように強要された」などの体験も語られました。「身内に被爆犠牲者がいる、憲法のことも新宣言に入れましょう」など、さまざまな戦争時の体験を語られ、平和の大切さと核兵器廃絶の重要性、被爆県長崎がもつ特別の役割が強調されました。
今年3月31日に生まれた南島原市は、7月20日の初市議会本会議において、「平和都市南島原宣言」を可決しましたので、県内の全自治体が非核宣言を回復することができました。回復して被爆61周年目の原爆祈念日を迎えることができ、被爆県としての責務の一端を果たすことが出来たと思っています。
これは、大阪、神奈川、鳥取、廣島に次いで、全国5番目になります。全自治体回復がわずか2年間で達成できたのは、これまでの諸情勢の発展があったからで、まさに、草の根からの非核平和を求めるエネルギーの復元力の力強さを実感しました。NHKは南島原市議会本会議の採択の場面をニュースで放映し、各新聞も「全自治体回復」を大きく報じました。
財政難の中で自治体の努力が
一方、「非核宣言」をしたものの財政困難のために、新規事業はいっさい認めないという「行財政改革」の基本方針があり、日本非核宣言自治体協議会への加入が認められないという深刻な事態が出ています。「平成の大合併」のために、住民の福祉、教育、暮らしばかりか、非核平和事業にも否定的な影響が起きているのです。
しかし、緊縮財政にあっても、少なくない市町長はじめ担当者は、知恵と工夫を凝らして、「被爆県だからこそ非核平和事業は大切だ」との姿勢で努力されています。
平戸市長は「財政は厳しいが非核平和事業はすすめたい」と語り、市の担当者は「教育委員会と連携し、平和教育の実状を把握したい。旧市からの懸案である碑の建設は断念せざるを得ないが、看板を市内の数箇所に設置することを検討したいと」話しています。市長は長編アニメ映画「アンゼラスの鐘」の制作支援募金にも応じ、市職員も自主的に募金して、市内数箇所で上映しました。
諌早市は、自治会代表などで「非核・平和都市宣言起草委員会」を設置し、新「宣言」を新市発足の式典において、朗読、発表しました。担当者は「限られた財源の中、市民の平和への願いが込められた『平和都市諫早宣言』の普及と、市民が参加しやすい要素を取り入れた平和啓発行事の開催へ創意工夫を凝らしたい」と意欲的に述べています。平和市長会議の「核兵器廃絶のための緊急行動」に呼応して、講演会、ビデオ上映、原爆パネル展の開催や「国際法を守る壁」プロジェクトへの参加などを計画しています。
全自治体に非核平和行政アンケート
私たちは、本当に実効性のある「非核宣言」にするために、施策の充実を求め、「非核平和行政に関するアンケート」を2000年度から始めました。内容は、担当窓口、予算計上、「非核宣言」を裏付ける具体的な施策・活動―核実験中止要請・抗議、広報紙での啓蒙、被爆・戦争体験を聞く、被爆・戦争パネル展など約30項目とその実施時期に応じた課題です。全自治体に回答用紙を郵送し、100%の回答を集約して、8月9日の原爆祈念日まえに、県政記者室において「集約結果」を発表してきました。
「結果」は、全自治体の首長あてにお礼状を付け、届けています。このため、全自治体の非核平和行政の中身が手にとるようにわかるようになりました。今年度で7回目、会結成以来、通算11回目になります。
今年度は、「平成の大合併」が実施され、6年前と較べて「非核平和事業」が果たして前進したのかどうか、非常に注目いたしました。
主な特徴は、
@「非核平和」予算については、「予算を計上している。一般経費から支出している」を併せて、20自治体(84%)。「計上していない」は、4自治体(16%)。比率においては、05年度に比べほぼ横ばい。2000年度に比べると約5割の前進となります。
A具体的な施策について比率で1位は、「自治体広報紙で平和の啓蒙活動をしたり、パンフレットを配布したりしている」が12自治体(50%)。2位は2つあり、「被爆者から被爆体験や戦争体験の話を聞いている」、「平和の集いを開いてパネル展示などをおこなっている」が11自治体(45%)、などとなっています。
このほか、「核実験に反対(抗議)する電報(抗議文)を送っている」は8自治体(33%)、2000年度比で5自治体減、比率で17%増です。
21項目のうち20項目が、比率において2000年度に比べて増になっています。全体の比率をみる限りにおいて、まだまだ、不十分な点もありますが、一定の前進をしていると評価できるのではないかと思っています。
被爆60周年記念事業に「アンゼラスの鐘」の制作支援及び上映を要請してきましたが、諌早市、西海市、時津町などが実施しました。
訪問の時は、「すみやかな核兵器の廃絶」署名も同時にお願いしました。雲仙、南島原、壱岐、対馬、五島の各市長及び議長、新上五島町長から署名をいただき、国連へ届けてもらいました。
多くの署名携え国連へ
昨年5月のNPT再検討会議の要請行動に、非核県民の会は私を初めてアメリカに派遣しました。私は、「いま、核兵器の廃絶」署名を、「私が国連へ持って行きますから」と言って訴え、原水協分とあわせて、62自治体のうち佐世保市を除く、61すべての市町村長・議長が賛同署名をいただきました。
また、本連寺、聖福寺、大音寺などの寺院、居住している地元の連合自治会長、自治会長、郵便局長などの協力も得て、1861筆の署名を集めることができました。このほか、平和市長会議が提唱している「2020ビジョン」は2回ます刷りし、知事と全市町村長に賛同要請した結果、知事はじめ19市町村長が賛同してくれ、平和市長会議事務局の広島市に送付しました。これも全市町長が賛同するように、引き続き、要請していきます。
「核兵器全面禁止・廃絶国際条約の締結促進を求める」意見書採択へ取り組み
2つは、「核兵器全面禁止・廃絶国際条約の締結促進を求める」意見書についてです。
議会にたいする「意見書」採択のとりくみは、「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」署名長崎県推進委員会(代表・鮫島千秋氏)が、すすめてこられました。私たちの会は、これを引き継ぎ、被爆県にふさわしく、一日もはやく全自治体の議会が「意見書」を採択することを求めて、全自治体非核宣言の画期的な成果のうえにたって、2000年3月議会から取り組み始めました。
当時は、80自治体のうち30自治体(5市24町1村)、37,5%の到達でした。議会が開かれるたびに全議会にたいして「陳情書」を提出して、訪問ができるところには、直接、議長・事務局長に会い陳情しました。「意見書」が採択されると、議会終了ごとに、「県内地図」を色でぬり、県政記者室で進行状況を発表しました。(これが地図です)。こうして、丁度、1年後の2001年3月議会までに、48自治体が採択し、一気に増えました。これまでとあわせて、80自治体のうち78自治体(7市70町1村)、97.5%に到達しました。町村は100%の採択になります。(佐世保市議会、県議会の2つが残っている)。これも、情勢の発展の成果であると思います。
しかしながら、「平成の大合併」により、「意見書」採択の自治体は、24自治体のうち、11自治体(2市9町)、45,8%に半減しました。新しい情勢のもとで、「意見書」採択100%めざして再挑戦する決意です。
今だからこそ強く求められる核兵器廃絶
いま、北朝鮮の核実験強行もあって、世界の非核平和を求める声は、ますます大きく強く着実に広がっています。しかし、唯一の被爆国・日本では、自民党幹部の核武装発言が出、憲法第9条が改正されようとしており、「日米軍事同盟」が地球的規模に広がり、国民保護法の具体化など戦争法制体制がつくられつつあります。「戦争中のような日本に、また、なるのではないか」と、多くの人々は危機感をもっておられると思います。私たちは、このような世界の流れに逆行することを絶対に許してはならないと思います。
加えて、地方自治体の行財政をめぐる状況が非常に厳しくなっており、非核自治体運動は、新たな試練を迎えています。私たち運動するものと住民、自治体が一体となってこの試練を乗り越え、「長崎を最後の被爆地に」するために、一日もはやい核兵器の廃絶と平和を実現することに全力を尽くことが求められています。
被爆体験こそ私の活動の源泉
みなさん、覚えておられますでしょうか、「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」は、1985年2月9日、長崎の駅前近くにある、秀明館ホテルで発表されました。あいにく雨風の強いとても寒い日でした。それにもかかわらず、渡邉千恵子さんはじめ、会場いっぱいに人があふれ、大変な熱気となりました。そして、全世界へ向って、「核兵器を廃絶することは、全人類の死活にかかわる最も重要かつ緊急のものとなっています」と力強く呼びかけ、「広島、長崎の地から、私たちは被爆者とともに、そしてもはや帰らぬ死者たちにかわって訴えます。第二のヒロシマを、第二のナガサキを、地球上のいずれの地にも出現させてはなりません」、と宣言しています。
当時、私たち原水協のメンバーは、妨害・逆流の勢力をはねのけ、この集会を成功させることができました。「もはや死者たちにかわって訴えます」という言葉に、ホテルのすぐ上の山の中(爆心地から2,1キロ)で被爆した私は、真っ黒に焼け焦がされ、泣き叫びながら殺されていった、幼い友達の姿を想いだし、「そうだ、私たちこそが、死者たちにかわって核兵器を廃絶させなければいけない」と固く誓いました。この言葉は私の魂の奥深くに刻み込まれ、活動の源泉になっています。
ニューヨークの要請行動で、世界の非核平和の熱気あふれる巨大な流れを肌で感じ、「この流れをさらに大きくしていくならば、核兵器の廃絶は可能だ」、という確信を持って帰ってきました。
私たちの会は、きわめて微力ではありますが、発足以来、19年間、こつこつと地道に活動してきたことは、平和と核兵器廃絶の実現という「全人類にたいする被爆長崎の歴史的で崇高な責務」の一端を、担ってきたのではないかと思っております。
今後ともその実現に向かって、みなさまのお力添えとご指導をいただきながら、微力を尽くして行きたいと思います。報告を終わります。ありがとうございました。 |
|
|