「しんぶん赤旗」2011/8/2
2011被爆者は語る
長崎市 吉原春男さん(81)
核兵器無くす政治を

 長崎市に原爆が投下され、東長崎の古賀から救援に向かい入市被爆した吉原春男さん(81)。
 「数えきれないほどの人を一瞬で殺しただけでなく、66年たっても放射能による健康被害をもたらしていることに、憤りを感じています」と核兵器への思いを語りました。

■救援に同行
 地元で田植えの最中、空襲警報が鳴り、防空壕(ごう)に避難していました。飛行機を見送り、しばらくすると「ドーン」と大きな音がして、熱風が吹き抜けました。自らの顔を被い、「熱い」と感じました。「何という爆弾か」と遠くを眺めましたが、山があって火の明かりのようなものは見えませんでした。

 当時、吉原さんは消防団に所属しており、消防団長の「長崎に救援に行く」という言葉に従い、同行しました。途中、長崎の方角を見ると、浦上の方面は「真っ赤」。燃えさかる炎に、消火用にと手にしていたバケツに視線を落とし、「これでどうなるというのか」とみじめな気持ちになったと言います。

■何もできず
 長崎市街に入ると、辺りは広く燃えており、電車が2台ほど焼けている間を歩きました。周囲は熱く、当時15歳だった吉原さんは何の手伝いもできず自宅に戻ったと言います。「翌日の死体を燃やす作業に従事した父が、『お前は来なくて良かった』と言ったのが印象的でした」と語ります。

 吉原さんは「被爆してその悲惨さを知っているからこそ、三たび被爆者をつくってはいけないと強く感じています」との思いを強くしています。

 昨年11月にも、青年たちに、被爆体験を語りました。吉原さんが青年に向けたメッセージとして、「政治への関心」を強調しています。「政治には核兵器をなくす力になるという良い部分もあれば核兵器を使おうとする悪い部分もある。核兵器を廃絶するために政治を変える、核兵器を肯定するような悪い政治は絶対に拒否すべきです」。