被爆者訪問物語
長崎の青年たち
                     「しんぶん赤旗」日曜版 2011年7月10日号
 原爆被爆者を訪ね、被爆体験を聞きとる長崎の青年たち。平和活動団体・P‐NATS(ピーナッツ)の「被爆者訪問」です。青年たちは、楽しみ、学びながら、核兵器のない世の中を目指して活動しています。
                                   長崎県・村ア利幸記者


被爆者の声引き継ごうと
 被爆者訪問は、長崎県原水協と連携して企画。昨年11月から、4人の被爆者から話を聞いてきました。

 原爆投下から66年。
 「被爆者の高齢化で被爆体験を直接聞く機会が失われつつあるのではないか」。会の代表を務める大石史生さん(33)=長崎民商事務局員=は語ります。
 「被爆者の生の声を聞き、それを私たちが引き継ぐことで、核兵器廃絶・反戦平和の意識を若い世代に継承することができるのではないか。そう思い、企画しました」

 大石さんは、語り手となる被爆者が緊張しないように、少人数で被爆者訪問を行うよう心がけてきました。「誰にでも家族があります。私にも妻と幼い子が3人いるので、その子らをこのような悲惨な目に遭わせないよう、活動を続けていく必要があるのです」

活動で出会い広がる
  活動を通して、新しい出会いがあります。平和活動に無縁だった青年が、被爆者訪問をきっかけに活動に興味を持つようになっています。

 3回目の被爆者訪問(3月21日)から参加するようになった石橋寛巳さん(30)=フリーター=も、その一人です。

 石橋さんは「福島第1原発事故をきっかけに、放射能で苦しんだ原爆被爆者の声を直接聞いてみたいと思いました。被爆者の苦しみがじかに伝わり、放射能の恐ろしさを実感しました」と言います。

貴重な経験できた
  会のメンバーで、被爆者訪問に毎回参加している川口幸江さん(30)=長崎民医連職員=は「当時のつらい経験や感情を思い出して、その体験を語ってもらっているので、本当に貴重な経験をしていると感じています」とのべています。

若い人なのであえて話した
  会のメンバーが最初に訪れた長崎原爆の被爆者・吉原春男さん(81)は「当時の友人と会っても原爆が落とされたときの話はしません。お互いに話を避けているのです。若い人たちが集まるというのであえて話しました」と言います。
 
 吉原さんは15歳のときに長崎で被爆し、原爆投下直後のことを「熱風で顔が焼けるようだった」と話しています。証言の際、被爆当時を思い出して胸がいっぱいになり、言葉を詰まらせる場面も。

 吉原さんの話を聞いて、青年らは「原爆の話が生々しかった」「人間の手に余るものをつくるべきではない」と感想を語りました。
 吉原さんは「若い人に話す機会があれば、また呼んでください。私にできることがあれば、協力したいと思います」と青年たちの手を握りしめました。

8月8日、長崎で会いましょう
 原水爆禁止世界大会・長崎の「青年のひろば」(8月8日)では被爆者訪問が企画されています。同実行委員会は、「21万羽おりづるプロジェクト」を企画し、折り鶴の募集を呼びかけています。2発の原子爆弾で奪われた広島・長崎両市の21万人もの命。その重みを、折り鶴を折ることで、一人ひとりが感じようという企画です。
 P‐NATSは、今年も原水爆禁止世界大会の二つのプロジェクトに現地実行委員として参加します。

 川口さんは言います。「平和に対する思いは誰もが持っています。折り鶴を折るような自分の身近なところから平和を学び、私たちと一緒に核兵器廃絶への一歩を踏み出しませんか」