「しんぶん赤旗」2010/4/3
核兵器のない世界へ
6千人の願いNYに
新日本婦人の会大村支部 東よね子さん

 国際署名「核兵器のない世界を」の輪が広がっています。新日本婦人の会大村支部(長崎県大村市)事務局次長・平和部長の東(ひがし)よね子さん(61)は、6500人を超える国際署名を集めてきました。核兵器廃絶への願いを束ね、核不拡散条約(NPT)再検討会議が開かれるニューヨークに旅立ちます。
 (川田博子)


断る人なかった署名

 
 「こんなにたくさんの人たちから署名が返送されてきました」
 百数十通ほどの封筒を並べるよね子さん。署名に添えられた手紙には、こんな思いがつづられています。

 「自衛隊員の息子や若者が銃を人に向けることのないよう、『平和』の維持を切に願います。現在、未来に向けて、核兵器廃絶をしんぼう強く訴えていく活動に大いに賛同します」(50代男性)

 「幼少時、被爆の悲惨さを体験し、ことの重大さを痛感しております。奥様の思い、信念をもっての行動には頭が下がります」(70代男性)

 中学校の同級生は、「返信用に活用してください」と150枚の切手を同封してくれました。
 中学校の担任だった女性(86)は、3回にわたり計50人分の署名を送ってくれました。「あんたが頑張っとっけん、私も少しでもお手伝いせんば」と―。

気持ちよく書く
 よね子さんは二十数年来、毎年5月に佐世保市と島原市を結んで行われるウオークラリーにボランティア参加し、キュウリのビール漬けなどをふるまっています。顔見知りのラリー参加者にも手紙を出しました。

 その中のひとり、阿野博行さん(60)からは400人の署名が届きました。阿野さんは生まれて初めて署名を周りの人に頼み、断る人がいないことに驚きました。「楽しかね。みんな気持ちよく書いてくれる。老人会で回覧板ば回してくれた人もおる」

 子育ての時期をともに乗り切った元看護師長の女性(70)からも、「断る人はいなかった」と、160人の署名が届きました。

 「毎日、返送されてくる署名と手紙に感動がいっぱいです」と語るよね子さんが、ニューヨーク行きと2千人の署名を集めることを決意したのは、昨年9月でした。

 近所の人や顔を合わせる知人など、昨年末までに集めた署名は400人に届きませんでした。

 今年1月、年賀状をもらった人に、「署名のお願い」の手紙を添えて、署名用紙と切手をはった返信用封筒を送りました。続いて、中学時代の同窓生、ウオーキングの会や社交ダンス会の仲間、昨年3月末まで勤めていた大村市民病院の同僚やOBなど、これまで260人を超える人に署名集めを依頼。署名は6503人になりました。

 かつては軍都だった大村市。太平洋戦争が始まった1941年には、当時、東洋一といわれた海軍航空廠(しょう)が設置されました。44年10月の大空襲など、終戦まで数十回、米軍機の空襲を受けました。

 大空襲のとき20代だった母親は、戦闘機による機銃掃射の中、かろうじて命拾いしました。長崎への原爆投下では親類や知人を多数亡くしました。

 「人殺しの戦争はしたらいかん」。戦後生まれのよね子さんに、何度も体験を語りました。
 南方の戦地に送られていたらしい父親は就寝中、断末魔のような悲鳴をあげたりうなされたりすることがたびたびありました。しかし、72歳で亡くなるまで一度も戦争の話をしませんでした。

40年来取り組む
 よね子さんは、「父も母も、『自分と同じつらい体験を子どもにさせたくない』『もう二度と戦争はしてはいけない』の思いは同じだったのではないでしょうか」と話します。

 よね子さんは18歳で看護師として働き始め、原水爆禁止運動と出合って参加。四十数年間、平和行進や核兵器廃絶の署名にとりくんできました。

 「オバマ米大統領の発言などをきっかけに、大きな平和のうねりが世界で盛り上がっています。ニューヨークに出発する5月1日まで署名を集め、核兵器廃絶を願う私たちの声をNPT再検討会議に届けます」