苦しみ今も カネミ油症事件1
「しんぶん赤旗」2010/3/4

  1968年に発覚した、わが国最大の食品公害事件といわれるカネミ油症事件。87年前裁判で和解し、「カネミ油症は終わった」。多くの人がそう思っていました。
 しかし―。被害者は何の公的救済策もないまま放置され、40年以上、病気や貧困に苦しみ続けていました。今、国に恒久的な救済法の制定を求めて立ち上がっています。(長崎県 原口一二美)


42年間痛みに耐え

 
 「言うことさえつらかった。だから何も言えなかったんです」長崎県諫早市の下田順子さん(48)は語気を強めました。被害者が多い五島市奈留島出身です。

 呼吸器疾患があり、関節リウマチで体中が痛みます。骨はもろく「老人のような骨」と言われています。免疫力がなく、風邪でも入院しなければならいほど重症化します。

生きるか死ぬか

 42年前、母親が量り売りで買った油。「どこの油か知らなかった」と言います。

 吹き出物や止まらない鼻血。「学校で座っていることさえきつかった」。大黒柱の父も、母も病気で働ける状況ではありませんでした。貧困―。「生きるか死ぬかの瀬戸際で生活してきた」

 テレビも新聞もない当時の離島で、被害者はカネミ油を食べたことさえ知らず病気に苦しんでいたのです。下田さんが油症を疑い、受診し認定されたのは中学2年生のときでした。
 
 下田さんは訴えます。「被害者は42年間耐えてきた。わたしたちが普通に生活していけるよう国は恒久的な救済をしてほしい」

なぜ認定されず

 1月末、長崎市内で「カネミ油症被害者の救済を求めて〜ナガサキ大集会」が開かれました。
 長崎県五島市の男性(41歳)も被害者の一人として証言しました。
 母親がカネミの米ぬか油を食べたとき胎内にいて「黒い赤ちゃん」として生まれました。

 「小学生のときから入退院の繰り返し」だったといいます。小学4年生のとき十二指腸潰瘍で8カ月入院。ひどい痒みや息苦しさにも悩まされました。成人してからも心臓裏の炎症、右胸の腫瘍、慢性的な手足のしびれ、椎間板ヘルニアで入院―。

 「明らかに違う姿で生まれてきた」のに、油症患者として認定されていません。「なぜなら今の基準はダイオキシン濃度の数字しか見ない。症状では見てくれない」と認定のあり方を批判しました。
(つづく)