「しんぶん赤旗」2009/04/09
木曜人とき
マレーシアで被爆体験を語った
川口龍也さん


 今年一月、日本原水協が取り組んだマレーシア原爆展に参加。現地の大学などで被爆体験を語りました。

 爆心地から二・一`で被爆。当時九歳、国民学校三年生でした。山中だったため、けがはありませんでした。

 国連に核兵器禁止条約モデルを提案するなど核兵器廃絶でリーダー的役割を果たしているマレーシアに「行ってみたかった」といいます。「マレーシアは日本が侵略し、被害を与えた国。そこで平和を語ることは意義がある」。侵略に対する謝罪から証言は始まりました。

 大学や街中で被爆の実相を知らせるビデオや写真を展示。初めて見る悲惨な写真に嗚咽する青年や女性の姿がありました。「生き残った人も後遺症に苦しみながら生きている。核兵器の怖さはここにある」。訴えは人々の胸に届きました。
 
 群れをなして署名する若者たち。真剣なまなざしに「こちらが励まされた」と語ります。「被爆の実相こそが核兵器廃絶運動の原点だと確信」しました。「実相を知ればだれもが共感できる」。

 被爆二世の弟を肝臓病で亡くしました。わずか二歳でした。爆心地近くの川のそばを通るたびに、累々と折り重なる死体をいまだに思い出すといいます。けがはなかったものの「いつ病気が現れるか」不安をかかえます。

 「被爆体験を語ることは被爆者の義務。記録し、後世に残すことは人類に対する責任です。一人ひとりが違う体験を持っています。語る人を掘り起こしたい」。核兵器廃絶運動に情熱を傾ける七十二歳です。