2007年12月13日(木)「しんぶん赤旗」

諫早湾閉め切り10年 第4部

干拓事業のゆくえ


※「しんぶん赤旗」2007年12月11日から13日までの3回連載を1つにまとめました。

「有明海SOS!」

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(写真)諫早湾干拓事業完工記念式に反対して「有明海SOS!」の文字をひろげる漁民たち=11月20日、長崎・諫早湾

 農水省が諫早湾干拓事業の「完工式」を行った先月二十日。諫早湾を分断した潮受け堤防前面には「完工式」に抗議する漁船五十隻、漁民二百人が集結しました。八隻の漁船の間に張り出された七枚のブルーシート。「有明海SOS!」と白ペンキで大書した文字が鮮やかに浮かびあがりました。

 この七文字に有明海の現状を訴える漁民の思いがこめられています。ブルーシート一枚は九メートル四方。畳五十枚分の広さがあります。看板は、諫早湾口に近い佐賀県大浦の平方宣清さん(55)ら漁民と市民の共同作業によるものです。

 これだけ大きいと文字を書くのも大変。書く場所の確保から仕上がるまで数人がかりでまる一週間かかりました。風で海が荒れると、ブルーシートの取り付け作業の難航が心配されました。幸い、この日はなぎ。天気も味方しました。

増える船

 大浦から抗議行動に参加したのは二十五隻。平方さんらの呼びかけに参加者が次々増えました。この時期、ノリ養殖の作業は最盛期で、ノリ漁民の参加は困難。取り組み期間も短く、参加漁船は有明海沿岸四県でせいぜい二、三十隻、当初は十隻と予想されていたのです。

 当日、朝もやのなか続々と漁船が現れました。

 平方さんは海上デモから諫早市内の報告集会にかけつけ、「有明海再生の夢を実現するまで訴え続ける」と強調しました。

 漁業の衰退は漁民だけの問題ではありません。看板作業を手伝った大鋸豊久さん(57)は造船業。年二、三隻はあった注文がほとんど無くなりました。「私たち舟屋もエンジンの鉄工所も、仲買商人や各種商店なども地域住民すべての人たちの生活が一緒に崩壊し始めている」といいます。

 漁業に見切りをつけた転出者が多く、若者や子どもが激減。歴史のある「鬼祭り」の開催も年々困難に。大鋸さんは「漁村が丸ごと崩壊しようとしている」と強調し、「多くの国民を苦しめる事業は正さなければならない」と訴えています。

 「ギロチン」と呼ばれる鋼板で諫早湾が閉め切られて今年で十年。諫早湾を抱える有明海は閉め切り以降、潮流が衰え、赤潮の頻発・規模の増大、貧酸素水(酸欠水)の頻発・滞留、海底のヘドロ化など、「有明海異変」といわれる環境の変化が次々指摘され、漁獲量も激減しています。

 最近は、重油の高騰も加わり、長崎県島原市の有明町漁協元組合長、松本正明さん(55)は、「漁に出れば赤字になるだけだから休漁している。有明海をあきらめ八代海までエビをとりに行く人もいるが、燃料代を引いたらいくらも残らない」といいます。

アサリも

 今年八月下旬、諫早湾から有明海全体に大規模な有毒赤潮と貧酸素水(酸欠水)が発生。諫早湾内小長井漁協の養殖アサリが全滅しました。アサリの被害は、潮受け堤防排水門に近いところから被害が拡大しました。つづいて、養殖カキもほぼ全滅しました。

 小長井町漁協理事・松永秀則さん(54)は、「来年出荷予定で養殖していたアサリも含めると、四、五百万円の被害になる」といいます。松永さんは二枚貝のタイラギ潜水漁師でした。潮受け堤防工事が本格的に始まった一九九二年の翌九三年から諫早湾内ではこれまで十五年間漁獲量ゼロで、収入は五分の一に。これまで生活を支えてきたアサリ養殖と定置網漁が赤潮や貧酸素の被害を受けています。「有明海SOS!」は掛け値なしの叫びなのです。

 諫早湾干拓事業は海の環境を破壊し、政・官・業の癒着による無駄遣いの典型と批判されてきました。被害は漁業にとどまらず、干拓地の営農問題や農業用調整池の水質改善問題が残され、今後地元自治体の財政負担もふくらむばかりです。その責任を棚に上げて国は今年度で事業から撤退しようとしています。


地元財政、長期に圧迫

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(写真)「完工式」の会場前で抗議する松永秀則さん(左)と島原市の漁民・吉田訓啓(とくひろ)さん

 農水省九州農政局は、「完工式」に向けて約五百人に招待状を出しました。約三百人が出席したものの、漁業関係者では、福岡、熊本、佐賀、長崎の四県漁連は祝えるような状況にないと欠席しました。

 そんななか、姿を見せたのは、小長井漁協の新宮隆喜組合長(65)。その組合長でさえ「一刻も早く完成をと言ってきたが、もろ手を挙げて喜ぶわけにはいかない」とのべ、「複雑な表情だった」と報道されています。

 小長井漁協は潮受け堤防北部排水門から最も近いところにあります。組合員九十八人のうち大半が陸(おか)にあがり、干拓事業の建設現場で働いてきました。三割ほどが、アサリやカキの養殖で生活しています。

環境悪化

 かつて干拓事業に激しく抵抗した小長井漁協は、一転して干拓事業推進に協力してきました。その干拓事業も今年度で終了し、地元の建設関係の仕事は激減します。漁業に戻ろうにも海はひん死の状態です。

 「完工式」の海上デモには、小長井漁協から十数人が参加の予定でした。最近ではかつてないことです。土壇場で組合がストップをかけたため、参加は松永秀則さん(54)だけになりました。といって、組合に事業終了後の展望があるわけではなく、組合員に動揺が広がるのは避けられない状況です。

 有明海特措法(二〇〇二年)に基づく再生事業も干潟の覆砂や海底を耕す応急対策が中心。干拓事業の影響を見ない特措法の対策では海が悪くなる一方です。同法成立いらいの五年間がそれを証明しています。

 松永さんは、潮流の衰えが海洋環境悪化の根本的な原因と考えており、「開門して調整池に海水を入れ、潮流を元に戻せば、海は必ずよみがえる」と確信しています。

共存共栄

 海上デモ後の集会で松永さんは市民に向けて訴えました。

 「私たち漁民は、干拓事業が諫早市民の命にかかわる防災のためだといわれて同意しました。生活をかけて協力したつもりです。しかし、有明海の漁業は崩壊しています。防災もやりようがあります。間違った政策を見直し、市民の皆さんと共存共栄できるよう大事な有明海を守り、元に戻すよう協力してください」

 調整池に海水を常時導入するには、旧堤防の補強などの安全対策や干拓地の農業用水の確保が問題になります。環境破壊の修復には、それなりの再生事業も必要。住民の理解が不可欠です。

 調整池の水質改善対策関係費は、地元自治体財政を長期にわたって圧迫します。市民にとっても大問題です。

 すでに下水道対策などに四百億円がつぎ込まれています。しかし、水質は、有機物の汚濁量を示すCOD(化学的酸素要求量)が一リットル中五ミリグラムの目標値を大幅に超える八―一〇ミリグラムで推移。水質は十年間改善していません。最近は、調整池全体が黄緑色になるほどアオコが長期に繁殖し、その毒性が心配されています。

 同じ干拓方式の岡山県の児島湖は水質改善に、四期二十年で五千五百億円をつぎ込んでいます。それでもなおCODの目標値を達成するめども立っていません。農水省は「事業完了までに目標値を達成するよう努力する」と弁明してきました。事業終了後の水質管理の責任をどうするつもりか、厳しく問われています。


見通し暗い干拓地農業

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(写真)試験農地の前で農民から話を聞く福岡洋一元諫早市議(右)

 諫早市の長田地区は優良タマネギの指定産地。干拓地北側の丘陵地に八十ヘクタールほどの段々畑が広がっています。タマネギの苗を植え付けていた梶原実好さん(82)は、干拓地の主農産物との競合を心配していました。梶原さんの畑の一段下は、県の試験農地でした。

品質落ちる

 「こんなところにも試験農地があったのか」。現地を案内してくれた福岡洋一さん(元日本共産党諫早市議)が驚きの声をあげました。干拓地内の試験農地はよく知られています。それとは別に隠れるように試験栽培が十年間も続けられていたのです。試験農地は、干拓地の干潟のガタ土をトラックで十五台分ほど運びこんで造成したものです。

 梶原さんは、県から栽培の管理を頼まれました。「干拓地に最も向いているのは、タマネギなのは間違いない。しかし、干拓地のタマネギは質的に落ちる。たとえば、佐賀県の干拓地と長田とでは、タマネギ十キロで三百二十円ほどの差がある」といいます。

 それでも心配なのは、質は落ちても安いタマネギが市場に大量に出回れば、価格が下落する恐れがあるからです。来年四月から始まる干拓地の営農は、「環境保全型農業」で「諫干ブランド」をめざします。そう順調にいくのだろうか。

 自民党農政のもとで、農業経営はいたるところで困難に直面しているのが現実です。福岡市内で一日、農業者三千七百人が「豊作でも赤字になる農政を見直せ」とデモ行進し、窮状を市民に訴えました。

 地元の諫早市内では耕作放棄地が増え続け、二〇〇五年には千二百四十ヘクタール、干拓事業で新たに造成された七百ヘクタールの一・八倍にも達しています。干拓地の現状も同様です。

 今回造成された中央干拓地に隣接する森山町の旧干拓地は総面積三百四十一ヘクタール。一九六四年完成し、全部で四十六戸が入植しました。このうち、43%に当たる二十戸が離農・転出しています。諫早湾干拓地域の営農の厳しさを示しています。

各地で見直し

 全国の国営干拓地百八十三地区を調べた例でも、干拓地の多くで当初の営農計画がうまくいかず、途中で見直されています。このため干拓地を抱える自治体では、営農負担の軽減や失敗是正などに多額の補助金が支出されています。

 長崎県は、県が全額出資の県農業振興公社に干拓農地全部を五十一億円で買い取らせ、入植希望者にリース配分する方式を導入しました。リース料は十アール(一千平方メートル)当たり年間一万五千円(最初の五年間)。「破格の安さ」で入植しやすいようにしました。

 普通どおり入植者に売却したのでは、売れずに残る可能性があり、そうなれば、干拓事業そのものの失敗が歴然とするからです。その五十一億円の公金支出差し止めを求める住民訴訟が長崎地裁に提起されています。年明けの一月二十八日に判決が言い渡されます。

 公社が負担する五十一億円の財源は県からの貸付金などで償還する計画です。貸付金が県に返済完了するまでに九十八年かかる仕組みです。九十八年前といえば一九〇九年、明治時代の末期です。この間の貨幣価値の変ぼうをみれば、いかに荒唐無稽(むけい)な返済計画かが分かります。

 長崎県の財政は厳しく二〇〇二年に財政再建団体になる可能性をみずから発表し、財政難を理由に県民に犠牲を求めてきたなかで、こうした支出が許されるのか。判決が注目されています。

(ジャーナリスト 松橋隆司)