2007年5月15日(火)「しんぶん赤旗」

諫早湾閉め切り10年 第2部

まやかしの公共事業(5)

事態は警告どおりに


写真

(写真)農地を造成中の中央干拓地。内部堤防(左側)と干拓地の間は排水路=3月19日

 諫早湾干拓の事業目的は、防災と農地造成です。経過をみれば、事業が先にあり、事業目的は後から考えられたものです。そこにどれほどの道理と説得力があるのでしょうか?

 すでに十年前に事業目的のいいかげんさが鮮やかに暴露されています。

 一九九七年の諫早湾の閉め切り直後に現地を訪れた日本共産党の不破哲三委員長(当時)は当時干拓推進の旗を振ってきた高田勇知事(同)と会談。そのときの論戦をかいつまんで紹介すると―。

矛盾広げ

 当時、諫早市内を流れる本明川の洪水対策に干拓事業が役立つかのように宣伝されていました。

 「川が氾濫(はんらん)するというのだったら、上流からの治水対策が問題のはず。それを、川の出口の干拓工事が防災対策だというのは話が違う」

 不破氏の指摘に知事の答えはありません。

 干拓計画では当時千四百ヘクタールの農地を造成することになっていました。ところが長崎県ではその当時、コメの減反が七千ヘクタールを超えていました。

 「現にある農地を七千ヘクタールも遊ばせて、新たにお金をかけて千四百ヘクタールも造るのは意味がない」と不破氏。知事は「コメではなく野菜をつくるつもりだ」と反論しました。しかし、野菜の作付け面積も十年間で千九百ヘクタールも減っていると指摘され、知事は返す言葉に窮します。

 不破氏は、諫早湾を閉め切れば、「水質が悪化して取り返しのつかないことになる」と警告し、水門開放を求めました。それから十年。事業目的は不破氏の指摘のとおりに矛盾を広げ、事態は、警告どおりに深刻化しています。

農地造成

 ことし三月中旬、日本共産党調査団の中央干拓地の視察に同行しました。干拓地は、来年三月の事業完了をめざして農地造成が仕上げの段階。ダンプやショベルカーが忙しそうに動いています。

 干拓地は二〇〇一年の計画変更(注参照)で、七百ヘクタールに縮小されました。それでも現地に立ってみると、遠方はかすむほどで、失われた干潟の大きさが実感できます。

 造成した農地の分配区画は、六ヘクタール(六百メートル×百メートル)が基本。この長方形の区画が百以上にもなります。長辺方向に耕作道路と用水路や排水路が整備されます。

 「大規模で平坦(へいたん)な優良農地を造成し、生産性の高い農業を実現する」。これが農水省が掲げてきた本来の事業目的です。ではそのとおりうまくいくのでしょうか?(つづく)


 〈注〉進行中の公共事業は、再評価制度(時のアセス)に基づき、国は五年ごとに第三者委員会を設置、事業の再評価の答申を受ける必要があります。「始まったら止まらない」という公共事業に対する批判の高まりを反映し、九八年度から始まったものです。諫早湾干拓事業も「環境に配慮した見直し」が〇一年に答申され、干拓地の計画が半分に縮小されました。