「しんぶん赤旗」2006/10/19
長崎市茂木地区
びわ畑、塩害被害で危機
日本共産党、農家支援が不可欠と要請

調査する田村氏(左)、堀江氏(中)、ふちせ氏(右) 全国的に人気の「茂木びわ」が来春以降の収穫に見通しがたたず苦しんでいます。産地の長崎市茂木地区。とりわけびわ専業農家(二百六十戸)が集中する宮摺、大崎、千々の三町のびわ畑が台風\号の「塩害」で枯れ、被害は日を追って深刻な事態となっています。現地を取材しました。
(長崎・田中康)
   

 橘湾に面した急傾斜地に立ち並ぶびわの木。
 「エエッ、これがびわ畑!」。現地を視察した日本共産党の田村貴昭衆院比例候補やふちせ栄子さん(参院選挙区候補)、堀江ひとみ長崎市議らの顔が曇ります。
 台風13号の通過が満潮時と重なり、記録的な風台風となったため海水が農作物を覆う塩害(潮風害)に見舞われたのです。例年なら深緑色の大きな葉が繁る畑が、一面にこげ茶色の畑に変わっています。根こそぎ倒され無残な姿をさらしている樹齢四十年を超すびわの木も少なくありません。
 
 「顔では笑っていても心では泣いていますよ」。そう話す宮摺自治会の木村速人会長のそばには、水分の欠乏で瀕死状態のびわの木にかける水を河川からくみ上げるため、五百gタンクを積んだ軽トラックが並んでいます。びわの木が生き残れるかどうかの瀬戸際でじっとしていられないのです。「雨も降らず樹勢が弱い、この冬が越せるかどうか」と木村さん。
 二百本のびわの木で生計を立てている田中安春さんは、「こんな被害は初めて。びわの木を枯らさないため毎日水をかけ続けるだけ」と必死です。しかし一日中水を運んでもせいぜい十回、一回で三本から五本のびわの木に散水できる程度です。
 別の男性も、「今年は葉の状態がよく花つきは確実だった。喜んでいたのに」と肩を落としました。
   
 茂木地区は台風や豪雨災害の常襲地帯。八月末の集中豪雨で幹線道が六十数bにわたって陥没し陸の孤島になりました。「陥没した場所に、トラックが通れる迂回路を急いで」と求め続けていた最中の台風襲来でした。
 びわ畑の被害は分かっていても、二d車やマイクロバスが通れる迂回路ができたのは九月末。通学や通院の苦労からやっと解放されたものの、振り返ったら生活の糧であるびわの木がみるみる枯れ始めていたのです。

 若木への植え替えには十万本の苗木が必要ですが「備蓄はわずか千本」(農協幹部)。苗木を育てるには土の改良から始めなければなりません。それでも、実がつくまでには最短でも五年はかかるといいます。その間の生活をどうするのか、悩みは深まるばかりです。
 びわ農民の苦悩に田村氏らは、「現場のリアルな写真とみなさんのご要望を国会議員にも送り、国の積極的対応を求めて全力をあげたい」と激励しました。

 日本共産党は長崎市に対し「台風十三号農業被害対策」を申し入れました。(十一日)「激甚災害指定を国に要請すること」「散水のための揚水ポンプ増設」「樹勢回復の堆肥資材への助成延長」「農業再生までの生活支援策」などです。

 十六日からは、党や後援会が、市内の自治労連や民医連とともに、『散水ボランティア』を派遣。「助かります」とびわ農家から大歓迎を受けています。
 申し入れやボランティアに参加した牧山隆党市医療福祉部長(市議候補)は、「災害続きでいたたまれない思いです。現状は個人の努力で対策がとれる状況ではなく、マンパワーや生活支援も含め公的支援が不可欠」と話しています。