「しんぶん赤旗」2006/6/12
被爆乗り越えちんちん電車がいく
坂の街、どこまで乗っても百円、渋滞なしの定刻運行が魅力


 「電車に乗るよ」といえば長崎市民の間では、JRでなく路面電車に乗ること。長崎の街を電車が走りはじめて九十年が過ぎました。
   
 全長十一・五`を走るのは@BCDと、電車前面に表示された主要四路線。
 路面電車を使えば、原爆資料館や平和公園がある浦上地区、グラバー園などいま開催中の「さるく博」(まち歩き博覧会)でも人気の南山手や東山手、出島や中島川石橋群の中央地区など、主な観光地はほとんどまわれます。

  「すごいね、どこまで乗っても百円なんて!」と、ニコニコ顔で電車から降りてきた二人連れの観光客。民営とはいえ二十二年間、全線均一の百円運賃でがんばっています。浦上方面と大浦方面をつなぐ「築町」電停では「乗り継ぎ券」も発行してくれます。文字通り全国一安くお得、それでいて黒字経営です。

 「平地が少なくて坂ばっかり、道も狭かけん電車が一番便利ですよ。ここでは軌道内を一般車両が走れんから渋滞もなかとです」|。出発前のひととき、車掌兼運転手が教えてくれました。百円均一なら両替機もいらないし、そのための設備投資も必要ないとか。

 観光客だけでなく、市民にとっても電車は渋滞知らずの定刻運転。通勤通学のもっとも信頼できる公共交通です。「一分一秒を争う緊急車両は軌道内を走れるから助かります」(消防局の職員さん)の声も。「観光客から道を尋ねられたとき、電車道を起点に教えると分かりやすいんです」と案内好きの女性の弁。

 仙台や福岡出身といった全国の中古車両を活用するなど、画一化されていない十数種類の車両と出会えるのも楽しみの一つです。「長崎は路面電車の博物館」というマニアもいます。
   
 長崎の街にぴったりの路面電車にも苦難の時代がありました。なかでも一九四五年八月九日の長崎原爆では、「従業員四百五十人中百二十人が死亡。変電所は吹き飛ばされ、軌道の三分の一にあたる枕木が焼け、レールは飴のように曲がり、車両の大半が焼失した」(長崎電気軌道五十年史)とあります。長崎大水害(八二年七月)で三日間動かなかったときもあります。「乗客本位」に徹し、社内の従業員の声とアイデアで乗り越えてきたといいます。

 二年前に乗降口の段差のない超低床車両もお目見え。イメージを一新したおしゃれな路面電車も走っています。(写真)
 市内の諸行事を盛り上げるのにも欠かせません。「花電車」や「納涼ビール電車」「原爆講話を聞く子どもの平和電車」も走ります。

 「北部住宅地への延長で渋滞緩和を」日本共産党がいま求めています。
  (長崎県・田中康)