身障者の私が身障者の娘に残してやれるのは、人間賛歌の日本共産党の心
 長崎坂本町に住む、深井基行さんは「2001年党旗開き」で「私と日本共産党」と題して発言。参加者から大きな拍手を受けました。その発言を紹介します。
 「心の中に、さまざまな出来事がにがく、苦しくなって浮かんでくる。楽しく幸せだった事までもが、ドロドロのヘドロと成って吐いても、もどしても次から次へと浮かんでくる」…わたしはこのような気持ちで寂寥感を覚えくらしていました。「51年間、何を求めて歩んできたのか」。病を持つ身になって一線をしりぞき、社会の底辺を世捨人の考えで、ひっそり過ごしていました。
 そうした時、とある医療機関を知り、人の痛みをわが苦しみとする先生、スタッフの姿に心のぬくもりを感じて、10数年になります。その間に、「我が肺はボロのふいご」のじん肺訴訟を知り、松谷訴訟にうねりとなるような感動を覚えました。決して他の医療機関では味わうことができない、人にたいする真摯(しんし)な真心を教えていただきました。この世知辛き人の世で、他人の痛みを自分の悩みとして解決しようと必死になってくれる、私もこうした人たちのお考えについていきたい。スタッフが応援している日本共産党をもっと知りたい。のどの渇きで水をゴクゴクふくむように、もっと、みなさんの後ろからでも、ついていきたい…そう切実に思いました。
 入党して初の衆議院選。開票速報にガックリと肩を落とした時、「深井さん、長いたたかいになるのだから、決して無理をせず頑張っていこう」と手を携えてくれたのが党支部の先輩でした。
 五中総や六中総を知り、七中総を読みました。党創立記念講演で不破委員長の哲学と会え、日本共産党の真髄を知ることができた気がしました。人に悲哀の歴史があるように、日本共産党に全身、火の玉となってたたかってこられた先輩同志の歴史を感じて、身震いするほどの感動を覚えました。
 身障者の私が身障者の娘に残してやれる物は何一つありませんが、福祉を最優先する人間賛歌の日本共産党の心を残せることを誇りに思います。
 わが国と観光長崎県が誇れるものは決して、大規模な干拓事業でも、自衛隊の基地づくりでもありません。まずは、自然ありき、人間ありきです。介護保険を充実させ、人が安心して暮らせる場、心と心がふれ合った、不自由なものが散策できる椅子のあるやさしい街づくり。やがてくる老人社会、障害者対策が急務ではないでしょうか。予算のばらまきよりまずは、人間救済が先ではないでしょうか。
 地区委員会からビデオを数本ずつお借りして、じっくりと鑑賞し、家族全員で語り合いました。その中で、進む道、確かな階段、21世紀の生きる道を教えていただきました。
 党の歴史に、わが生命を重ねて、本当の意味での真の平和が一日でも早くくるように、たたかいに加わっていきたいとおもいます。すばらしき理論!、すばらしき同志とともに!