西彼杵郡時津町
 読者ニュース毎週発行33年
「町の動き、政治がよくわかる」とみんなが待っている

  「議会のことは難しいが、この読者ニュースを読むと町の動きがわかり、政治がよくわかる」。長崎県時津町の日本共産党川尻和夫町議が三十三年間毎週発行している「しんぶん赤旗」読者ニュースへの町民の声です。いま一七〇四号です。 (佐藤俊明)
 
 
 創刊されたのは、一九七二年二月六日。川尻町議(写真左から4人目)が当選した翌年です。
 第一号には、「野田郷で道路計画に反対の動き」という見出しで、住民の声を無視した計画を告発する記事が載っています。この記事がもとで、同町で初めての署名運動が起こり、道路計画は、住民の声をとりいれたものに変更されました。
 当時の読者ニュースで力を入れたのが、子々川上流の中山ダム建設問題です。ダム建設をめぐって町の意見は二分しました。とくに建設される地元は反対でした。解決に十年かかりました。党支部は、町の水不足が深刻なことから、ダム建設には賛成だが、反対の人たちの声を重視して決めるという政策でした。
 七九年の町長選で、党はダムが建設される地元の人たちの意見を尊重する候補を推しました。建設強行派からは、川尻町議に「白い羊の皮をかぶった赤いおおかみ」などのデマ宣伝が流されました。読者ニュースは、民主的にものごとを決める立場に立って、町民の声と事実を知らせました。読者ニュースは賛成の人たちだけでなく、反対の町民の信頼をえ、最後は川尻町議がまとめ役になり、ダム建設が決まりました。四八一(八二年二月二十八日)号には、「中山ダム 反対者との合意十年ぶりに成立」の見出しがおどっています。
 最初、建設強行で意見を異にした当時の森山恵町長からは、「巧言令色すくなし仁」との扇子が送られました。
 
 議員の変化
 七九年には、議会でまったく質問しない議員がいることをとりあげました。指摘された議員が後援会長から「おまえ質問しとらんとか」としかられ、今はみんな熱心に質問するようになりました。
 その後も水道料金の値下げを毎年要求し、九〇年に実現。二〇〇二年十二月から毎議会、合併問題をとりあげ、読者ニュースも合併の基本問題、デメリットを指摘し〇四年には、合併はとりやめになりました。
 また「今週の日曜版の読みどころ」が創刊時から一貫して載っています。読者の要望で、途中からは休日診療の当番医が掲載されています。
 二月二十六日に開かれた「時津読者ニュース一七〇〇号記念のつどい」では、参加した自治会長が「川尻さんは地元にとってなくてはならない人で、頼りになる人です」とあいさつしました。
 支部委員の鈴木勝利さんは、「読者ニュースは、みんな楽しみに待っている。届けると、仕事の途中でも引っ張り出して、まず見るけん」。松尾雅美さんも「新聞配るのが楽しい。相談もされる」といいます。
 川尻町議のもとには、町民や他党派の議員からも「この問題をぜひ書いてくれ」「おかしかことやっとるけん」という声がよくかかります。
 読者ニュースを発行した動機について、川尻町議は、「三菱重工長崎造船所に勤めていて、日曜日以外昼間は、地元にいないというハンディがあり、読者だけにでも町の情報、私の考えを知ってもらいたいと思って」といいます。
 「こって牛」
 最初はろう原紙を鉄筆で削って書くガリ版印刷、次にボールペン原紙に書く印刷と手書きを続けてきましたが、手の病気で手術し、いまはワープロでつくっています。支部会議でみんな分担して持って帰り、配っています。
 職場時代からの友人、久保田勝英さんは、「三菱重工のラグビー選手だった川尻さんのニックネームは『こって牛』。やりだしたら続けるけん。たいしたものだ」と称賛します。
 川尻さんの家の飾り棚には、美しい花とともに、「一七〇〇号おめでとう お疲れさま」とかいた絵手紙風の色紙が飾られています。妻の初代さんがかいて贈ったものです。これまで一五〇〇号、一六〇〇号と記念の時は、家族で祝賀会を開いて励ましてきました。
 長男の宏和さんは、「福祉の職場で働いていますが、職場でわからないことがあると、父に聞いてくれとよくいわれます。読者ニュースで父が信頼されているなと感じています」といいます。
 南部地区委員長の寺田敏之さんは、「一七〇〇号という継続の力はすばらしい。時津町は『赤旗』の購読をやめる人があまりいません。読者ニュースの力だと思います」といいます。
 中田晋介県議と堀江ひとみ長崎市議は、川尻町議にならって「読者だより」を発行し、四八七号になっています。堀江市議はいいます。「大先輩の川尻町議。もっともっとがんばって。私たちも続きますから」

2005年3月24日付け「しんぶん赤旗」の学習党活動版に、時津町川尻町議の読者ニュースの発行が紹介されましたので、転載します。