爆心地の長崎市城山に憲法九条の会
再び戦争はしない、被爆者はつくらない

 「憲法九条は永久に戦争を放棄しようとの思いでできました。日本の宝です。わずか六十年で、戦争する国に変わろうとしています。私と同じ原爆の苦しみを子や孫が味わわないために、再び戦争をしない国をつくりましょう」
 長崎市の爆心地、城山地域で二月二十日に開かれた「平和と憲法を考える城山地区のつどい」。主催の城山憲法九条の会代表の一人、下平作江さん(原爆遺族会会長)の訴えです。
 下平さんは原爆で親や兄弟姉妹六人を失い、生き残った妹も貧しさと病気を苦に自殺しました。雪のちらつくなか参加した五十人は、下平さんの話に涙しました。
 会のもう一人の代表、楠田昌子さん(歯科医師)が開会あいさつ。「イラクにゆき、これまでなんでもなかった日本の平和のありがたさを知りました。平和は憲法九条に守られています」と語りました。
 つどいでは、被爆者の母をもち、おじを原爆で亡くした園田鉄美さんが、一月に作曲した「素晴らしい約束」「かぞえうた」を演奏し、子どもたちに平和をと歌で呼びかけました。
 「参加して、九条を絶対に守り通すぞ! という思いを新たにしました。地域に九条に心を寄せている人たちがこんなにいるんだなと、心強くなりました」。園田愛さんIの感想文です。「原爆のおそろしさを知った。得意なまんがなどで、みんなの心を動かす活動を地域でしたい」と語ります。
 つどいでは、今後の活動について、@「九条の会アピール」賛同者を広げるA憲法学習会、小集会を開くB憲法署名にとりくむC活動資金を集めるD県の五月三日憲法記念日集会を成功させる|の五点を確認しました。 このつどいは、二日前に会場がキャンセルされ、急きょ変更しての開催でしたが、地元紙でも「地域に根差した護憲運動展開」という見出しで写真入りで大きく報道されました。
 会事務局長の佐久間洋子さん(新日本婦人の会県本部副会長)は、「私も被爆者です。九条への一人ひとりの思いを生かして運動を大きく広げたい」と話します。
 会が結成されたのは、一月十九日です。昨年十月に結成された県九条の会の呼びかけ人の下平さんが呼びかけ文をつくり、地域に住む宗教家、医師、歯科医師、原爆遺族会役員、大学助教授、教師、音楽家十二人がこれにこたえて呼びかけ人となりました。
 会の最初の大きな行事が二十日のつどいでした。案内ビラをつくり、呼びかけ人が中心になって、十、二十、三十枚と知り合いにとどけました。六つの医院と歯科医院では、待合室にビラを置いてくれました。
 日本共産党の城山支部は、昨年十一月三日の県九条の会「発足記念のつどい」に七人が参加し、支部会議で「城山でもつくりたい」と論議しました。毎週開いている支部会議で、まず不破哲三議長のパンフレット『世界の流れのなかで憲法問題を考える』を四回にわたり学習しました。その後も毎回、九条の内容や九条を守る運動を討議し、九条を守るポスターも百枚近く張り出しました。こうした活動は、カラーの支部ニュースで全員に届けて病気で活動できない人とも気持ちを一つにして活動してきました。
 下平さんのだした呼びかけ文を支部は討議し、会づくりに賛同し、いっしょになって広範な運動にしていこうと話し合いました。
 二十日のつどいへの案内ビラを配り、「しんぶん赤旗」読者や党後援会員に積極的に案内するとともに、これまで話したことのない人や各団体代表にも呼びかけました。
 つどい会場が急きょ変更になるなかで、支部の人たちは、雪の舞う当日、元の会場予定地、道の角々に立ち会場に案内しました。
 支部には、被爆者も多く、反核・平和運動を重視し、毎月九日に商店街で核兵器廃絶の街頭署名を続け、毎回五十人から六十人の署名を集めてきました。毎年八月には、原水爆禁止を求めて、地域の網の目行進をしてきました。平和映画会を毎年開き、昨年は二百人が集まりました。
 支部長の吉田ハルノさんは「平和を守り、被爆者をつくらないために九条を守らなくてはという思いは、みんな強くて熱いんです」と語ります。
    (佐藤 俊明)

「しんぶん赤旗」2005/3/17 学習党活動版