「しんぶん赤旗」2023/1/18

長崎の「被爆体験者」訴訟で本人尋問

 国が定めた地域外での被爆のために被爆者と認められていない長崎の「被爆体験者」44人が、長崎市と県に対し、被爆者健康手帳の交付を求めている訴訟の口頭弁論が16日、長崎地裁(天川博義裁判長)でありました。4人の原告代表が本人尋問に臨みました。

 爆心地から9・7`の旧古賀村に暮らしていた松田ムツエさん(84)は7歳で被爆。「目を刺すような閃光(せんこう)を受けた。しばらくして黒ずんだ砂や土とともに、灰も降ってきて大雪のように積もった。面白がって手で受け止めたり、庭に積もった灰をかき寄せて遊んでいた」と証言。畑に積もった灰は肥料になると、そのままにしていたといいます。

「水は灰をひしゃくでよけながら汲んでいたが、灰も入っていた。当時、下痢や鼻血、歯茎からの出血、できものができ、今も呼吸器疾患などで苦しんでいる」と証言しました。

4歳の時、爆心地から約8`の旧日見村にいた松尾栄千子さん(82)も畑に灰が白く積もっていたと述べ、原爆投下時、一緒に遊んでいた友人は3年後白血病で亡くなり、自身も皮膚がんで7回手術を繰り返したと証言し、「内部被爆しているのははっきりしている。私たちは被爆者だ」と訴えました。

広島の「黒い雨」高裁判決を受けた厚労省の被爆者救済で長崎の「被爆体験者」を対象外としていることに、爆心地から約10`の旧深堀村で原爆に遭った岩永千代子原告団長(86)は証言台で「差別そのもの。被爆者の分断であり、あってはならない」と批判しました。