「しんぶん赤旗」2015/04/22
ひと
長崎被災協・被爆二世の会・長崎事務局長を務める
柿田 富美枝さん(61)
 「『戦争ほど怖いものはない。戦争や原爆は二度と起こしたらいかんとよ』と母から何度も言われました」と穏やかに語ります。

 2012年5月に諫早と長崎で「長崎被災協・被爆二世の会」を仲間たちとともに設立しました。活動は皆で、何をしなければいけないのか、何ができるのかと、月に1度、集まって話し合って進めています。「現役世代が多く、時間がなかなかとれず、被爆証言の聞き書きができない」と発信の難しさを話します。

 1953年に長崎で生まれ、5歳で福岡へ移り住みました。福岡の大学で知り合った夫も被爆2世でした。92年、親たちが住む長崎に戻りました。

 「長崎原爆松谷(まつや)訴訟を支援する会」の支援活動をしている友人の手伝いのため、長崎原爆被災者協議会(被災協)に顔を出すようになり、当時会長だった山口仙二さんに誘われ、93年4月に被災協の事務局員に。

 「被爆2世として何ができるのか」と模索し、語り部の方々から被爆体験を聞き、被爆遺構めぐりを行いました。平和コンサートを開く、年2回開催の原爆写真パネル展、原爆詩や被爆体験の朗読会をするなど、自分たちのできる活動で歩きだしています。

 「私はNPT(核不拡散条約)再検討会議の代表団に参加します。被爆者の思いを訴えたい、そして被爆体験の継承をと願い、活動している『二世の会』のことをニューヨークで話したい」と決意を語ります。
 文・写真 村ア 利幸