長崎で「日中友好・平和を語る会」  
李総領事もあいさつ

 柳条湖事件(*)からちょうど79年になる9月18日、日中友好協会長崎支部は「日中友好、平和を語る会」を、長崎市内で開催しました。

  駆けつけた長崎総領事館の李文亮総領事(写真)は、「中国国民は今日18日を『9.18事変』と呼び、忘れることがない日です。私たちが歴史を大事にするのは、歴史を発展の鏡として、二度と戦争を繰り返さないためです。戦時中、日本国民も弾圧されたことも良く知っています」とのべ、アジアの平和が世界の平和につながると、あいさつしました。

 南京大虐殺を描いた映画「南京!南京!」の前半部分を視聴したあと、被爆者の大塚一敏さんが「戦争のころの長崎」と題して、講演しました。

 大塚氏は、三菱造船所で戦艦「武蔵」がつくられた経過や、県内の空港から飛び立った戦闘機が南京などを空爆したことなどを、詳しく語りました。

 意見交流会では、長崎大学で学ぶ中国留学生が、「日本と中国の間には間違った戦争があったが、歴史を互いによく学び、二度と戦争をしないことが大事だ」と話し、従軍看護婦として中国にいったという女性は、国民を戦争に駆り立てた、「教育の怖さ」について語りました。 
柳条湖事件(りゅうじょうこ)

 日本の中国への公然とした侵略戦争の発端となった謀略事件です。1931年9月18日夜、中国東北部の奉天(現在の瀋陽)近郊の柳条湖付近で発生しました。日本の陸軍部隊・関東軍が、南満州鉄道(満鉄)線路上で自分で爆薬を爆発させながら、これを中国軍のしわざだとして、近くの中国軍兵営を攻撃したのです。

 日本は、この事件を機に中国東北部全域に侵略し(「満州事変」)、翌32年3月には日本いいなりのカイライ国家「満州国」をつくり上げて植民地にしました。さらに37年7月、盧溝橋事件をきっかけに中国への全面的な侵略戦争を開始。41年12月には侵略の手をアジア・太平洋全域に広げていったのです(太平洋戦争)。