しんぶん赤旗」2009/1/31
「隠し続けてきた」 
原爆症訴訟 被爆の苦しみ証言


 原爆症認定集団訴訟第二陣の裁判が二十六日、長崎地裁で開かれ、本人尋問がおこなわれました。新らたな審査基準によっても認定されない原告三人が証言しました。

 原告の長谷勝さんは、当時の被爆の状況やその後の生活について証言。大やけどを負い、下痢、脱毛の症状があったこと、息子を白血病で亡くしたこと。大阪では、被爆者であることを「気持ち悪い」と言われ、以来「隠し続けてきた」ことなどを語りました。

 森田輝彦さんは、時折声を詰まらせ、涙を拭いながら証言しました。

 三人の証言に対し、厚労省担当官は、当時の症状や申請書の筆跡、内容について詳しい説明を求めました。

 当時一歳九か月の栗原芙美恵さんは担当官から、原爆手帳の申請書に急性症状の記載がないことを問われ、「母が書くのを迷ったか、書き忘れたのでは」と述べました。

 裁判官が母親が迷った理由を尋ねると栗原さんは、「母は隠そうとしていたのだと思います」と答えました。担当官の非常識な発言に傍聴席から非難の声が飛ぶ場面も見られました。

 裁判後、中村尚達弁護団長は、「母親が差別を恐れて娘の急性症状を書くのをためらった気持ちはよくわかる。裁判官がそこをよく聞いてくれた」と述べました。

 来月九日にも本人尋問がおこなわれ、三人が証言します。