「しんぶん赤旗」2008/10/22
特攻艇の訓練所
戦争遺跡探訪

ながさき平和委員会


 ながさき平和委員会はこのほど、十月例会として特攻艇「震洋」の訓練所があった東彼杵郡川棚町の戦争遺跡探訪を行ないました。

 当時、訓練場の近くに住んでいた田崎忠男さんが案内しました。

 田崎さんは、家が強制移転させられ、跡地に訓練場ができたこと、近くを通る列車はよろい戸を閉めさせられるなど、秘密裏に訓練が行なわれたと話しました。

 「震洋」は終戦間際、資材も航空機も底をつく中で編み出された最後の特攻兵器で、三菱長崎造船所などで建造されました。
 ベニヤ製で先端に二百五十`cの弾薬を詰め、バック機能のないベニヤ製の小型ボートでした。

 訓練生の大多数は十七歳〜二十三歳の若者たちで、二〜三ヶ月の訓練を終えると各地の基地に配属になったといいます。

 田崎さんは震洋をはじめ伏龍という人間機雷などの訓練の様子を紹介し、「軍部は若者たちを人間として見ていなかった」と何度も繰り返しました。

 午後からは、震洋などの特攻兵器で犠牲となった三千数百名の名前を刻んだ「特攻殉国の碑」、大正時代に建てられた片島魚雷発射試験場の廃虚、宮国民学校の子どもたちが二年がかりで掘った巨大な防空壕「無窮洞」などを見学。

 参加者からは「今回初めて知ったことがたくさんある。戦争のことを語り継ぐ必要があり、決して風化させてはいけないと思った」など感想が寄せられました。